ヤクルト村上宗隆内野手(21)が、通算100号を達成した。21歳7カ月での到達は、89年西武清原和博の21歳9カ月を抜き、史上最年少記録。高卒4年目での100本塁打到達の背景には、ヤクルトの育成方針があった。

   ◇  ◇  ◇  

将来の主砲としてドラフト1位で入団した金の卵をいかに育てていくか。球団は、のびのびと村上を育てた。入団1年目の18年。短所をつぶすことより、長所を伸ばす方針を推し進めた。当時2軍打撃コーチだった松元打撃コーチは「三振のことは僕らは一切言わなかった。フルスイング。持ち味を伸ばすことを常に意識した」と振り返る。この年は、2軍戦98試合で17本塁打を放った一方で84三振。それでも、失敗を恐れずにバットを思い切り振れる環境を整えた。2年目は1軍でリーグ最多の184三振。どれだけ三振をしても起用し続け、全143試合に出場した。

球団の方針に応え、村上は侍ジャパンの一員として、東京五輪に出場するまでに成長した。同コーチは体作りや青木、山田ら先輩とともに練習に励む姿を優しく見守る。「体の強さがあって、練習は常に全力でやっていたことが数字につながっているのかなと思います」。若き主砲への期待と信頼を寄せると同時に心配事? もある。「まあまあ食べるので。そこそこおなかいっぱいになるまで。正直大丈夫かなって」。食欲旺盛は元気の証しだが…。これから試合、というタイミングで、米や麺類などの炭水化物を大量にとる姿に、苦笑いを浮かべた。【湯本勝大】