ヤクルト村上宗隆内野手(21)が歴史に名を刻んだ。広島18回戦(神宮)の初回に右翼席へ今季35号ソロを放ち、通算100本塁打を達成した。21歳7カ月での到達は、89年西武清原和博の21歳9カ月を抜き、プロ野球史上最年少記録を更新。希代の若き4番が、逆転優勝へチームを加速させるメモリアルアーチを本拠地で描いた。

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かち割った瓦が、突き破った屋根が、最年少記録の“出発点”だった。記念のアーチは右翼への大飛球だったが、100本塁打のうち、逆方向の左翼越えが35本。逆方向が代名詞だった清原氏の30本(100本到達時)を上回る。原点は熊本東シニア時代。グラウンドには85メートルの右翼先に、高さ13メートルほどの防球ネットが張ってあった。村上の打球はそれを飛び越え、近隣民家の屋根を壊すことがしばしば発生。吉本幸夫監督(65)から、安全面を懸念して「逆方向に打て」と指示が出た。

引っ張り禁止。ならばと左方向へかっ飛ばす練習を黙々と繰り返した。コンパクトにではなく、遊撃手のはるか上へ向かって、左中間に飛ばす。フルスイングは絶対に崩さなかった。

卒団後の中3の秋以降も、毎週グラウンドに向かい、とにかく振り込んだ。下級生が練習をする傍らで、1人黙々とマシン相手に打撃練習。球速に物足りなくなると、マシンに近づいて打った。常に全力で振り続け、広角な打撃を磨いていった。九州学院進学後も、そのスタイルを貫いて、研さんを積んだ。恩師の坂井宏安前監督(64)から「右手が柔らかい。右手の使い方や、肘の使い方は天性のものがある」と評された利き手のバットコントロールで、フルスイングでのミート力も向上。引っ張るだけではない。逆方向へのアーチが村上の“個性”になった。