日刊スポーツの名物編集委員、寺尾博和が幅広く語るコラム「寺尾で候」を随時お届けします。

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阪神とヤクルトが絡んだV戦線で思い出すのは、1992年(平4)の“暗黒時代”にあったホロ苦いオアシスだ。監督中村勝広が「大きなお土産を持って帰ります」と勇んで旅立ったが返り討ちにあった。

柿の実がたわわになった9月下旬。かつての阪神は移動日に新大阪駅の地下1階にあるティールームで監督の囲みをするのが定例だった。チーム状況、選手起用などを直接取材し、翌日の紙面に反映させた。

全員がコーヒーでそろうのに、いつも1人の虎番キャップだけがティーを注文。「取材する側」「される側」の立場も、シーズンを通しての付き合いには“血”の通ったやりとりもあって時間が過ぎた。

生え抜きでサラブレッドの中村は就任から2年連続の最下位。初めて経験する首位争いに43歳の青年監督が「大きなお土産」と優勝が口を突いたのも無理はない。新幹線を見送った拙者もその気になった。

仲田、中込、湯舟、中西、田村ら投手中心の「守りの野球」で、新庄、亀山の若手も勢いづいた。阪神は15試合を残し、2位ヤクルトに3差、3位巨人に3・5差。9月21日から18泊19日、13試合を戦った長期ロードで力尽きた。

この年のターニングポイントは、9月11日のヤクルト戦(甲子園)だった。同点の9回2死一塁、八木裕の左中間への当たりに、二塁塁審・平光清による本塁打の判定が、エンタイトル二塁打に覆って、サヨナラ勝ちが幻になった。

ヤクルト監督の野村克也が左翼に歩いて抗議にでた。リプレー検証のない時代だが、打球はツルをはい上がるかのようにフェンスをつたってスタンドに落ちた。ジャッジが翻ったことに37分間続いた中村の猛抗議は聞き入れられなかった。

延長15回、6時間26分の激闘が3対3で終了した瞬間、時計の針は午前0時26分をさした。ファンがグラウンドに乱入し、逮捕者もでた。中村は「死力を尽くしたが、後味が悪い」とうめき、野村は「負けなくて良かった」と振り返った。

ネット裏で成り行きをみたあの一戦が劇的なサヨナラ勝利だったら運命は変わっていたかもしれない。指揮官が「優勝」といった2文字の響きがずれていれば、これまた結末は分からなかった。

リーダーの言葉力は人心掌握に影響を与える。首位浮上にヤクルト高津臣吾は「今知った。初めて聞いた」とオトボケ。矢野燿大は改めて「優勝します」と言い切った。雌雄を決する同学年対決に、間もなく答えが出る。 (敬称略)