今季限りで現役を引退する平成の怪物・西武松坂大輔(41)の「影武者」として一躍有名になった男がいる。阪神谷中真二スコアラー(48)だ。横浜高で甲子園春夏連覇を成し遂げた松坂を一目見ようと、入団1年目の99年春季キャンプ(高知)は大フィーバーとなった。そこで生まれた影武者伝説。谷中スコアラーが当時を振り返った。【石橋隆雄】(全文2029文字)

◇ ◇ ◇ ◇

「影武者」を命じられたのは22年前、99年2月14日のバレンタインデーだった。谷中さんが「とんでもない数の人が来ていた」と驚くように、西武の高知・春野キャンプは怪物ルーキー松坂をひと目見ようと1万5000人のファンで膨れ上がっていた。

ブルペン横の控え室から陸上競技場への500メートルほどの移動も困難なほどの人だかり。のちに中日の監督を務める森繁和2軍投手コーチ(当時)が谷中さんに「やれ!」と松坂のユニホームを着て影武者になるように指令を受けた。その当時の日刊スポーツの記事は以下の通り。

 ◆◆◆ 

1万5000人のファンが集まった高知・春野にニセ松坂が現れた。ブルペン横の控え室から18番のユニホームが一気にダッシュ。それに気がついたファンが条件反射のように追いかける。500メートルほど先の陸上競技場にまで逃走劇は続き、真っ先に追いついたファンの顔が一瞬引きつった。18番の主はプロ3年目の谷中だった。当の松坂は谷中のグラウンドコートのえりを立て、帽子を目深にかぶり悠々と移動。松坂フィーバーに沸くファンを驚かせようとした冗談だったのだ。

--↓ここから続き↓--

松坂は「まんまとかかりましたね」。谷中は「森さんのアイデアです。恥ずかしかった」とニセ松坂作戦の成功にニンマリだった。

 ◆◆◆ 

当時の選手名鑑では谷中さんは身長176センチ。松坂は180センチと4センチしか差はないが、実際はもっと違っていたようだ。谷中さんは「背格好が似ていると言っても10センチくらい僕の方が低いんですけどね」と、笑う。「森さんから『速く走るな。ある程度ついてこられるスピードで』と言われたので。すごい数の人がついてきましたね」。松坂大輔になりきった谷中さんは、作戦通り、ファンが追っかけやすい速度で陸上競技場までの約500メートルを小走りし、見事に演じ切った。

当時の記事にはエース西口文也のコメントも掲載されていた。「エース西口は『大輔のユニホームは10枚くらいあるし、まだまだ(ニセ松坂は)あるよ』とニヤリ。観衆増に合わせてニセ松坂の登場回数は増えそうだ』とあるが、谷中さんがニセ松坂になったのは1回きりだった。球団がファンをだますとは何事だと怒り、発案者の森コーチが注意されたという。谷中さんは「僕は球団から何も言われなかったので、(発案者の)森さんが助けてくれたのかもしれませんね」と森コーチに感謝した。

「松坂からは、あの日、『すみません』と言われました。今となってはいい思い出ですね」と笑い飛ばすが、当時は「影武者」のイメージに悩まされた。

99年は8試合に登板し1勝2敗、防御率4・05だったが、厳しい場面でチームに貢献。そのオフには推定年俸で1250万円から1500万円に250万のアップを勝ち取った。だが、「影武者料」とやじられ悔しい思いをした。

当時は西口、豊田清、森慎二ら剛球自慢が多くいた西武投手陣の中でも高卒1年目の松坂は群を抜いていた。谷中さんは「やっぱりすごかった。引けを取らない真っすぐを投げていたし。スライダーも『何じゃコレ!』って言うくらいに曲がっていて高校生とは思えなかった」と驚くしかなかった。「もう1度西武のユニホームで投げる姿を見たかった」と残念がった。

トレード移籍した阪神では01年途中から03年までプレーした。01年は野村克也監督から内角攻めを徹底的に指示され、先発で自己最多の7勝を挙げた。「野村さんに『ワシが(打たれたら)責任を取る』と言われて、打者に怒られようとも、生きていく道と思って内角に投げましたね」。星野仙一監督のもとでも2年プレー。オリックス、楽天と4球団を渡り歩いた経験や人脈は19年から務める阪神でのスコアラー業にも役立っている。「僕は先乗りスコアラーからもらった資料、映像をまとめる仕事。やりがいはありますよ。やっぱり打線が打ってくれたり、投手が抑えてくれたら。僕らは選手の役に立つことを見つけてやるだけ」。松坂の影武者と呼ばれた谷中さんは、今、阪神のスコアラーとしてチームを支える縁の下の力持ちとして輝いている。

◆谷中真二(たになか・しんじ)1973年(昭48)5月15日、大阪・阪南市生まれ。泉州高から小西酒造を経て96年ドラフト3位で西武に入団。01年途中に平尾とのトレードで阪神へ。04年オリックス、05年~07年楽天、08年から西武に戻り10年限りで引退。通算243試合、21勝25敗。防御率4・55。西武でスコアラーなどを務め、19年から阪神でスコアラー。右投げ右打ち。174センチ、82キロ。