才能が花開く瞬間は、いつなのか。答えのない答えを追い求め、人は変化を繰り返す。12月8日、プロ野球12球団合同トライアウトが行われる。野球を介して若者の人生の転換期を支える、映像制作会社が運営支援する硬式野球クラブチームを追った。(敬称略)【桑原幹久】

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入部条件は「野球が好きなこと」だ。ヌーベルベースボールクラブ(以下、ヌーベルBC)は日本野球連盟の千葉県野球連盟に所属する。10代から40代まで、約40人の選手が在籍し、高校、大学、専門学校生から家庭を持つ会社員など、背景の幅は広い。チームでの活動日は土日祝日だが、ただの〝同好会〟ではない。都市対抗野球大会、全日本クラブ野球選手権出場を目標に、名門高校、大学を経て、強豪企業チームや独立リーグ入りを目指す選手も在籍する。さらに独立リーグ、社会人チームを経たプロ野球選手輩出も大目標にある。

映像制作会社が野球に熱意を向けた

同クラブの運営支援は、映像制作に携わるヌーベルグループが行う。同グループは1992年(平成4年)に設立。出資を受ける日本テレビ系列の番組を中心に「世界の果てまでイッテQ!」「徳井と後藤と麗しのSHELLYと芳しの指原が今夜くらべてみました」などの有名番組に数多く携わっている。多数のグループ会社を抱え、近年では配信業務にも力を入れ、20年度は約81億円の売り上げ(グループ全体)を計上する。

なぜ、映像制作会社が野球チームを支援するのか。さかのぼること6年前の2015年。ヌーベルグループの取締役会長で、野球好きの久野幹雄は、縁あって日本工業大野球部監督の丸山三四四(みよし)らとともに「野球監督会(現ダイヤモンド会)」を設立。少年野球から社会人まで、さまざまなカテゴリーの指導者が集う場を設け、意見交換を重ねた。その中で久野は野球界の現状を知り、丸山から丸山自身が運営に関わるクラブチームの支援の話を持ち掛けられた。久野は振り返る。

「高校、大学も含めて日本の野球界は未だスパルタ教育が蔓延っていると。指導者に反発してやめてしまう選手も多くいて、その中にはかなり実力のある選手もいる。ただ、周囲を顧みずに野球に打ち込みすぎてしまい、野球しか残らないのもどうだろうと。『まだやれるんじゃないか』と思っている人を集めて、しっかりと人間教育、就職支援もしましょう、という話だったので、それなら支援しましょう、というのが始まりでした」

撮影された膨大な映像からの切り貼りから、1つの番組として視聴者の目へ届けられる。華やかな世界の裏側で戦い続ける映像制作会社が、熱意を野球へと向けた。ただ、番組制作と同じく、変革へは地道な準備が必要。チームの環境、土台づくりに一から取り組んだ。

メジャーと同じ機材、練習メニューを導入

青空に、左翼後方の観覧車が映える。都内から車で約1時間。埼玉・宮代町、東武動物公園からほど近いグラウンドが、ヌーベルBCの練習拠点だ。両翼92メートル、中堅120メートル。打撃ケージ2台、マシン4台、ブルペンも設置され、十二分な環境がそろう。02年、拓大紅陵元監督、元U18日本代表監督を歴任した故小枝守を叔父に持つ小枝和人が前身の「松戸B.C TYR」を立ち上げた。13年、叔父と面識があった丸山と出会い、東京新大学リーグの3部に所属する同大野球部と連携。同年から「NITC」と名称変更した。

小枝が話す。「ここまでの環境があるクラブチームはなかなかないと思います」。都内からアクセスのいいグラウンドはすぐに利用枠が埋まり、これまでは練習場確保に苦労していただけに拠点の存在は大きい。さらに同グラウンドから車で10分程度の場所に、中学硬式野球チームのさいたまボーイズと共同使用する半室内練習場も活用する。4年ほど前に木材店の倉庫を改築。ブルペンも2カ所作り、悪天候時やグラウンド練習後に打ち込み、投げ込みができる。

練習内容にもこだわる。オリックス、米メジャーのナショナルズでトレーナーを経験し、オリックス山岡、杉本らが自主トレで師事する高島誠が考案したトレーニングを導入した。狙いは限られた時間での能力向上。米国で取り入れられる練習法も実践する。瞬発力を高める10、20メートル走を行うため、1000分の1秒単位で正確に計測できる光電管測定器やメジャー球団も使用する米ストーカー社製のスピードガンも購入した。肩の強化練習には角度をつける遠投ではなく、近くに置いたネットへ助走をつけ、水平方向に全力で球を投げる「プルダウン」、打撃面では素振りではなく、ティー打撃を推奨し、常に投球、打球速度を計測している。

機器の購入費用は、ヌーベルグループの支援でまかなえている。小枝は「アルバイトに励む若い選手も多いので、非常に助かっています」と話す。全体での活動日以外でも、機器や半室内練習場は自由に使え、野球に打ち込める環境は整っている。同グループ支援後、主要大会での成績は奮っていないが、着実にクラブとしての成長は続けている。「あとは結果を出すだけですね」。指揮官は元気いっぱいにグラウンドを駆ける選手たちを目にしながら、言葉に力を込めた。

元巨人山上の加入が空気を変えた

夢の裏にはリスクが伴う。日本野球機構(NPB)が今年1月に発表したアンケートによると、昨年11月のみやざきフェニックス・リーグ参加の若手選手の約半数が、将来の生活に不安を抱いていた。

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同じくNPBが4月に発表した戦力外・現役引退選手の進路調査結果では、対象の133人中、約75%が野球関係、約25%が野球以外(未定、不明含む)のセカンドキャリアを歩んでいる。オフシーズンに話題に挙げられる選手は一握り。肌寒さを覚える初冬には必ず、〝受け皿〟問題に目が向けられる。

今年1月、育成選手として巨人で3年プレーし、昨オフ戦力外となった山上信吾がヌーベルBCへ入団した。150キロを超える右投手としてプロ入り。DeNA三浦監督、西武内海投手兼任コーチなどを指導した小谷正勝からも素質を高く見込まれたが、花開かず。野手転向後に戦力外となり、投手としてトライアウトを受験した。強豪クラブチームから声がかかるも入団には至らず、独立リーグ入団からNPBへの復帰を目指すため、知り合いの紹介でたどり着いた。

ヌーベルBCに元プロ野球選手として初加入の山上はチームに大きな刺激を与えた。憧れであり、ある種〝ブラックボックス〟となっているプロ野球界での経験談に、部員は興味深く耳を傾けた。大幅な戦力アップで高まった勝利への期待に、チーム内の士気も比例し、活気が生まれた。社会人経験のない山上もアルバイトに励みながら、自らの可能性を信じてヌーベルBCの環境をフルに活用。多様な背景を持つ部員の言動に触れ、人生観の幅も広げた。「お金を稼ぐ大変さに加えて、野球の楽しさを改めて実感できました」と貴重な日々を振り返る。

決め球のフォークの精度を高め、課題の制球難克服にも取り組んだ。4月中旬のクラブ選手権予選までエースとして活躍後、部員のつてを経てBCリーグの神奈川の入団テストを受験。5月1日に練習生契約をつかみ、同月17日、選手契約に至った。経歴には「ヌーベルベースボールクラブ」と刻まれる。

勝利だけがすべてではない

山上がたどった一連の流れは、ヌーベルBCが目指す1つのモデルケースとなった。昨年に続き、12球団合同トライアウトを受験したプロ野球選手を中心としたスカウト活動に注力。ヌーベルグループの支援、サッカー日本代表の遠藤航が代表を務める会社が運営するアスリート向け就職支援サービス「キミラボ」との連携もアピールし、夢の後押しを志す。

部員の中にはこれまでのチームで指導者、チームメートと折り合いが合わず、野球を何度もやめかけた者もいる。小枝はチーム創設時を思い出し、言葉をつむぐ。「チームを作ると叔父に最初に話した時は『なめるなよ』と怒られもしましたが『勝利だけを求めるな。根本に人間教育があることを忘れるな』と言ってもらえたことを今も大事にしています。人を集めれば簡単に勝てるかもしれませんが、その方向に安易に流れたくはないと思っています」。野球だけをやればいい、という考えはない。プロアマ問わず、一社会人として大切なことを学び得る。創設時の礎は揺るがない。

ヌーベルグループ会長の久野は「山上くんが1つのきっかけとして、チームの成績も上がっていけばいいなと思います。野球は好きなので、社会貢献活動の一環になれば」と熱を込める。夢を簡単に諦めていいのか。厳しい現実を重々理解しながら、それでも消えきらない心底の灯火がチームの存在を支える。ヌーベルグループの主要会社、株式会社ヌーベルバーグの社名は「新しい波」を意味するフランス語の「Nouvelle Vague」が由来。型にとらわれず、チャレンジとチェンジを繰り返す。原動力は単純明快。野球が好きだから―。【桑原幹久】