亜大(東都)が、20年ぶり5回目の日本一に輝いた。田中幹也主将(4年=東海大菅生)が先制打を含む2安打3打点、エース青山美夏人投手(4年=横浜隼人)が完投と投打の軸がかみあった。生田勉監督(55)は同大会初優勝となった。初優勝した13年と同じ決勝のカードで2度目の優勝を狙った上武大(関甲新学生)は主導権を奪えず、準優勝となった。

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身長166センチ、体重66キロの田中幹の小さな体が、優勝の輪の中に加わり、ピョンピョンとジャンプしながら人さし指を突き上げた。

最後はやっぱり、頼れる主将だった。先制の左越え適時打に、5点目の中越え適時三塁打。先発の青山が6回、9回以外、毎回走者を背負う投球も、田中幹が再三の好守で救った。「いつも青山に助けてもらっている。今日は自分の番だと思った」。誇らしげに、最高殊勲選手賞のカップを突き上げた。

生田監督は「30年亜大でコーチ、監督とやる中で一番弱いチームでした」と話した。2月上旬、コロナのクラスターが発生し寮が閉鎖すると、潰瘍性大腸炎から復帰したばかりの田中幹は指揮官に直訴した。「僕はプロに行きたい。今、休んだら僕の夢が絶たれてしまう。練習をさせてください」。たった1人、グラウンドで練習を続けた。それを聞きつけた選手たちが、1人、2人と寮に帰り自主練習を始めた。全員そろった2月中旬。体力づくりからスタートした。

病気を克服した田中幹が夢をあきらめずに頑張る姿が原動力となった。「幹也が頑張っている。僕らはもっと頑張れる」。チーム一丸、ひた向きに努力し、1戦ごとに力をつけた。決勝戦はノーサイン。犠打も盗塁もホームスチールも、選手が自信を持って、この5カ月の成果を発揮した。野球ができる喜びを全員で共有し、笑顔でプレーする。その中心には背中で引っ張る主将がいた。

試合後、ヒーローインタビューを受ける田中幹を、チームメートが取り囲むように見守り大きな拍手を送った。その前で「人生で一番の仲間に出会え、優勝できた。うれしいです」と笑顔で叫んだ。【保坂淑子】