プロ野球元ロッテ投手として活躍した村田兆治さんが11日午前5時57分に亡くなった。72歳。警視庁によると、東京都世田谷区の住宅火災で搬送され、この家に住む村田さんと確認された。

村田兆治さんの勇姿を写真で振り返る。


1968年1月16日 永田オーナー(左)と濃人渉監督(右)にかこまれて照れる村田兆治
1968年1月16日 永田オーナー(左)と濃人渉監督(右)にかこまれて照れる村田兆治
1973年10月3日 日本ハム対ロッテ 完投で7勝目をあげた村田兆治(右)は金田正一監督から祝福を受ける
1973年10月3日 日本ハム対ロッテ 完投で7勝目をあげた村田兆治(右)は金田正一監督から祝福を受ける
1974年10月9日 阪急とのプレーオフを制し歓喜の胴上げの祝福を受けるロッテ村田兆治
1974年10月9日 阪急とのプレーオフを制し歓喜の胴上げの祝福を受けるロッテ村田兆治
1975年4月5日 ロッテ対南海開幕戦 プロ入り初の開幕投手を白星で飾る村田兆治
1975年4月5日 ロッテ対南海開幕戦 プロ入り初の開幕投手を白星で飾る村田兆治
1976年9月10日 プロ入り初の20勝を達成したロッテ村田(右)とスタンドの声援に応える金田監督
1976年9月10日 プロ入り初の20勝を達成したロッテ村田(右)とスタンドの声援に応える金田監督
1978年5月12日 ロッテ対南海、完投勝利で通算100勝を達成した村田兆治
1978年5月12日 ロッテ対南海、完投勝利で通算100勝を達成した村田兆治
1979年8月25日 ロッテ対近鉄 完封で14勝目をあげ山内一弘監督(左)から祝福を受けた村田兆治は手をあげてファンの声援に応える
1979年8月25日 ロッテ対近鉄 完封で14勝目をあげ山内一弘監督(左)から祝福を受けた村田兆治は手をあげてファンの声援に応える
1981年 試合後、ロッカールームで談笑するロッテ落合博満(左)と村田兆治
1981年 試合後、ロッカールームで談笑するロッテ落合博満(左)と村田兆治
1981年6月24日 ロッテが前期優勝を果たし笑顔で会見に臨む左から村田兆治、有藤道世、山内一弘監督、松井社長
1981年6月24日 ロッテが前期優勝を果たし笑顔で会見に臨む左から村田兆治、有藤道世、山内一弘監督、松井社長
1981年7月6日 パ・リーグ前期MVPに選ばれたロッテ村田兆治はロッテ東京工場の職員に胴上げされる
1981年7月6日 パ・リーグ前期MVPに選ばれたロッテ村田兆治はロッテ東京工場の職員に胴上げされる
1983年9月16日 渡米してジョーブ博士による腱移植手術を受けたロッテ村田兆治
1983年9月16日 渡米してジョーブ博士による腱移植手術を受けたロッテ村田兆治
1984年9月25日 右ヒジ手術後初先発の村田兆治
1984年9月25日 右ヒジ手術後初先発の村田兆治
1985年7月23日 オールスター第3戦、掛布雅之と村田兆治
1985年7月23日 オールスター第3戦、掛布雅之と村田兆治
1985年7月23日 オールスター第3戦 全パ対全セ 山本浩二と村田兆治
1985年7月23日 オールスター第3戦 全パ対全セ 山本浩二と村田兆治
1985年7月23日 オールスター第3戦 パ勝利の試合後、左から、山田久志、村田兆治、村田辰美、松永浩美、梨田昌孝
1985年7月23日 オールスター第3戦 パ勝利の試合後、左から、山田久志、村田兆治、村田辰美、松永浩美、梨田昌孝
1988年7月25日 オールスター第2戦 パシフィック(右から)ロッテ牛島和彦投手、ロッテ村田兆治投手、近鉄阿波野秀幸投手、近鉄小野和義投手,近鉄吉井理人投手
1988年7月25日 オールスター第2戦 パシフィック(右から)ロッテ牛島和彦投手、ロッテ村田兆治投手、近鉄阿波野秀幸投手、近鉄小野和義投手,近鉄吉井理人投手
1987年9月20日 ロッテ対西武、通算2000奪三振を達成した村田兆治は祝福の花束を受け取る
1987年9月20日 ロッテ対西武、通算2000奪三振を達成した村田兆治は祝福の花束を受け取る
1987年9月20日 ロッテ対西武、通算2000奪三振を達成した村田兆治は祝福の花束を受け取り帽子をとってファンの声援に応える
1987年9月20日 ロッテ対西武、通算2000奪三振を達成した村田兆治は祝福の花束を受け取り帽子をとってファンの声援に応える
1990年8月24日 西武対ロッテ 足の間からボールが見えるマサカリ投法
1990年8月24日 西武対ロッテ 足の間からボールが見えるマサカリ投法
1990年10月13日 ロッテ対西武、引退試合での村田兆治
1990年10月13日 ロッテ対西武、引退試合での村田兆治
1990年10月13日 ロッテ対西武、引退試合を終え辻発彦(右)から花束を受け取る村田兆治
1990年10月13日 ロッテ対西武、引退試合を終え辻発彦(右)から花束を受け取る村田兆治
1990年10月13日 ロッテ対西武、引退試合を終え、ロッテナインから胴上げをされる村田兆治
1990年10月13日 ロッテ対西武、引退試合を終え、ロッテナインから胴上げをされる村田兆治
1990年10月13日 ロッテ対西武、引退する村田兆治は花束を掲げファンの声援に応える
1990年10月13日 ロッテ対西武、引退する村田兆治は花束を掲げファンの声援に応える
1995年7月2日 近鉄対ダイエー、プロ初勝利の藤井将雄(右)。左は村田兆治投手コーチ
1995年7月2日 近鉄対ダイエー、プロ初勝利の藤井将雄(右)。左は村田兆治投手コーチ
村田氏(中央)はドジャースの野茂(左)、石井と記念撮影
村田氏(中央)はドジャースの野茂(左)、石井と記念撮影


◆村田兆治(むらた・ちょうじ)1949年(昭24)11月27日生まれ。広島県本郷町(現三原市)出身。福山電波工(現近大広島高福山)から、67年度ドラフト1位で東京オリオンズ(現ロッテ)入団。マサカリ投法と呼ばれる独特のダイナミックな投球フォームから剛速球とフォークを操り、プロ通算215勝177敗33セーブ2363奪三振、防御率3・24。最多勝1回などタイトル多数。右ひじ手術を乗り越え、85年カムバック賞。通算148暴投はプロ野球記録。40歳まで現役を続けて名球会入り。05年野球殿堂入り。解説者としても活躍。右投げ右打ち。