高校野球夏の甲子園の大会歌「栄冠は君に輝く」などで知られ、NHK連続テレビ小説「エール」のモデルになった作曲家の故古関裕而氏が、特別表彰で野球殿堂入りすることが13日、発表された。古関裕而氏が1972年(昭47)から84年にかけて審査員を務めた、フジテレビ系「オールスター家族対抗歌合戦」の司会を務めたタレント萩本欽一(81)が、日刊スポーツの取材に答えて、在りし日の古関氏をしのんだ。

第2次世界大戦前から作曲家として活躍して、阪神『六甲おろし』、巨人「闘魂こめて」、早大「紺碧の空」、慶大「我ぞ覇者」などの応援歌で知られる古関氏だが、萩本にとってはラジオドラマの主題歌の人だった。

「72年10月に『オールスター-』が始まる時に初めてお目にかかったんだけど、僕にとっては子供の頃に聞いていたラジオドラマ『鐘の鳴る丘』(47~50年)の<歌詞>緑の丘の 赤い屋根~ っていう主題歌『とんがり帽子』の偉い作曲家の先生だったの。水の江瀧子さん、近江俊郎さんといった昭和を代表するスターにも審査員をお願いしていたんだけど、古関先生は別格でした」と振り返る。

『オールスター-』の審査員は大部屋の楽屋を一緒に使っていた。「古関先生はいつもニコニコしていて。誰かが話しかけると『そうですよね』とニッコリ笑って丁寧に応じていらっしゃいました。気を使わせないように、自分から話しかけることはしませんでした。そういう先生の姿を見て、僕は『偉大だな』と感じていました。先生と呼ばれるようになっても飾らない、偉ぶったところを見せない。先生と呼ばれるのが心苦しそうで、いつも謙遜している方でした。人生の教訓を教えていただきました」

番組開始から10年ほどたって、萩本が降板を考えていた時だった。「僕は長く番組をやり続けるべきではないと考えていたんです。そうしたら近江さんが『古関先生が“僕も卒業だね”って寂しそうにしている。最後まで付き合ってあげようよ』って言って来たんです。それで『ごめんさなさい、最後までお付き合いさせていただきます』って、84年6月に一緒に降板するまで頑張らせていただきました」と話した。

萩本は大部屋の楽屋では、椅子に座ることなく司会者として心配りをしていた。「近江さんが『もう10年もたつのに座らない』って言うと、古関先生が椅子を横にずれて隣をポンポンとたたいて指さして、ニッコリと笑った。すてきな心、優しい心をいただいて感激して隣に座ったのを覚えています」と笑顔を見せた。

古関氏の自宅は、萩本の自宅の近所にあった。「隣『オールスター-』が始まって7、8年もたってから、車で帰って降りたら、隣の隣だった(笑い)。それから、しょっちゅう家の前で奥さんと手をつないで出かける先生と会いました。『デートですか』って言うと『デートじゃない、病院だよ』って笑ってました。奥さんを抱きかかえるように腕を組んで、ゆっくりと歩いて行く姿は、いつまでも見送っていたい光景でした」。

4年連続の候補に挙がっての殿堂入りには「先生がいらしたら、手を横に振って『そういうもんでもありません』って言い出しそうですね。言葉より音楽に生きた方ですから。毎年のように、先生の作曲した野球の応援歌が流れる度に、ニッコリとした笑顔を思い出します。先生、おめでとうございます。直接そう言ったら、また照れくさそうにするんでしょうね」と話した。

◆萩本欽一(はぎもと・きんいち)1941年(昭16)5月7日、東京生まれ。66年に坂上二郎とコント55号を結成。「スター誕生!」「オールスター家族対抗歌合戦」などの司会でも人気を集め、80年代にかけて「欽ドン!良い子悪い子普通の子」「欽ちゃんのどこまでやるの!」など民放各局ゴールデンタイムでレギュラー司会を担当。「視聴率100%男」の異名を取った。YouTube「(萩本欽一)欽ちゃん80歳の挑戦!」で月、水曜午後9時から生配信中。血液型A。