日刊スポーツの名物編集委員、寺尾博和が幅広く語るコラム「寺尾で候」を随時お届けします。
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プロ野球の現場を取材していて、バッターボックス内を“歩いて打った”選手を見たのは、1月24日に亡くなっていたのが見つかった元南海ホークス・門田博光が初めてだ。
相手投手はロッテの牛島和彦。中日から移籍した男は、1987年(昭62)に最優秀救援賞に輝いた球界を代表する守護神で、得意のフォークを自在に操った。
牛島の右手からボールが離れると、門田はスルスルッとピッチャーに向かって前に歩き、その球を完璧にとらえた。フォークボールの落ち際をつかまえたのだった。
あのフルスイングだ。打球はまたたく間にライトスタンドに突き刺さった。プロの高等技術に衝撃を覚えたが、だれもができるテクニックではない。まさに芸術的だった。
門田の専属打撃投手を務めた松浦正は、水島新司の漫画「あぶさん」にたびたび登場した男だ。突然の別れに「さみしいな…」といってしのんだ。
「今の人にはわかってもらえないだろうが、グラウンドを“戦場”と思っていた。勝負に命をかけてたみたいな人。近寄りがたい雰囲気で、人付き合いもうまくない。だから自分に背を向けるような人はそれだけのものだと思ったし、お前みたいに、ふところに突っ込んでくるやつは認めていた」
試合前練習で、門田は松浦に相手投手を想定し、その日によって「速い球」「緩い球」を投げ分けるように注文しながら本番に備えた。
松浦は「試合ではわざと空振りして、次の球を狙ってホームランを打つんだから」と読みのしたたかさも認める。いわゆる相手ピッチャーの調子に合わせる意味の“三味線を弾く”打撃をみせたわけだ。
右足アキレス腱断裂からよみがえった不死身の男は、ユニホームを脱いでからも壮絶な闘いを強いられる。コロナ禍の前に会ったときは耳を疑うような話を聞かされていた。
「冬にはだしで油絵を描いていたとき、電気ストーブの上で足を温めていたら、いつの間にかうとうとして、気付いたら足が燃えていた。大やけどで右足の指を全部切断した。右肩の後ろの筋肉を、足先をくるむように移植した。平衡感覚もないし、たまに目がくるくる回るんや」
“中年の星”として輝いた全盛期を知るだけに、脳梗塞、糖尿病、人工透析を繰り返した姿に孤独を感じて胸が締め付けられたものだ。
球団消滅した南海ホークスの最後の番記者で、奈良県内にある田んぼのド真ん中に立つしちりんを使ったポツンと一軒家の焼き肉店で不惑の本塁打王を囲んだ夜は本当に楽しそうだった。
門田から「お前ら寂しいやないか」と珍しくやさしく声を掛けられたから「またみんなで集まりましょうよ」と告げたのに、今はそれが口約束になってしまったのが心残りだ。
さらば、カドさん…。



