ヤクルトは11日、球団OBの入来智氏が10日に宮崎・都城市内で起きた交通事故で死去したと発表した。死因は重症頭部外傷。55歳だった。入来氏は鹿児島実-三菱自動車水島を経て89年ドラフト6位で近鉄入り。広島、近鉄、巨人と渡り、00年オフにヤクルトへ移籍。NPB通算214試合登板で35勝(30敗)2セーブを挙げた。巨人時代には、実弟のオリックス入来祐作投手コーチ(50)と同時に在籍して「入来兄弟」として話題を呼んだ。

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入来智さんは野球、私生活のすべてに一本気な男だった。

ヤクルト担当として本格的に付き合うようになったのは、01年3月に博多で行われたオープン戦後、夜の飲食店で偶然出くわして以来。離婚後で慰謝料などに苦しんでいたが、「(戦力外にした)巨人を今年はぶっつぶしますよ」と言ってはばからなかった。

一本気だから、本業でも変化を恐れなかった。プロ入り初の10勝をマークした01年は、「ドラキュラ投法」。マウスピースが口から飛び出さんばかりに「オリャーアッ」と叫ぶ姿は異彩を放った。キャンプから不調に陥った移籍2年目は一転、「あっち向いてホイ」投法に挑戦。フォロースルーの際に顔を一塁側へ向けるフォームに取り組んだ。「腕が三塁側へ抜ける感じになるんです。だから思い切って一塁側に振り抜くようにしたんです。(当時巨人の)岡島みたいにね」と真顔で話していた。

誰にでもフレンドリーな「お兄ちゃん」の周囲は笑いが絶えなかった。「星飛雄馬のように目が燃えているんです」、「(手に汗握るを)冷や汗握って」など数々の迷言で周囲をなごませた憎めないキャラクターだった。

ヤクルトも2年目が終わると戦力外になり、韓国、台湾へと渡った。現役引退後は地元宮崎で弁当店を家族で営む姿をテレビで何度も拝見した。その後も職を転々としたようだが、どこまでも波乱の人生に絶句した。【01~02年ヤクルト担当・沢畠功二】