熊本地震の被災地に「村上球場」を-。16年、甚大な被害を受けた益城町にそんな夢のあるプランを構想している人たちがいる。

村上宗隆は中学時代、熊本東シニアに所属。同町の福田グラウンドでプロ野球選手を夢に練習を重ねた。当時は事実上、同シニアの専用グラウンド。右翼フェンスを大きく越える本塁打を幾度となく放ち、浜田雅之さん(77)の農作業小屋の屋根に何度も穴をあけた。

小屋や畑に飛び込んできたボールは100球ではきかない。その都度、返却していたが返却できなかった約40球は今も大切に保管してある。同球場の目と鼻の先にある「平田震災遺構」で伝承活動に当たる会長でもある浜田さん。地震から7年が経過しようとする今も、全国から年間述べ6000人の見学者が訪れる。その一帯に「村上選手に続く後世の選手たちを育てる新球場が造れたら」と構想を始めた。

かつて福田グラウンドは雑草で覆われていた。そこを同シニア自らが除草、整備をしたことで、ほぼ専用として使うことができていた。しかし、ひび割れが起きた地震後は同町により改修。その後は公共のグラウンドとして使用権は都度、抽選によって決めるようになった。同シニアはその場を離れ、熊本市内から車で約1時間かかる遠方のグラウンドに拠点を移した。

同シニアの吉本幸夫監督(67)も「戻れたらありがたいし、熊本県に硬式野球ができる球場自体が少ないので実現すれば良いこと」と話す。浜田さんら震災遺構保存会は「村上球場」の実現を模索し始めた。「子どもたちの育成、村上伝説の伝承、震災遺構の保存・伝承による防災意識の波及」を実現できる三位一体の施設というイメージだ。

もちろん簡単な話ではない。浜田さんらが建設予定地と考えている敷地はまだ森の中。整備費の問題もある。クラウドファンディングで資金調達したい考えもあるが、権利問題のハードルもある。それでも諦める気はない。益城町で放ち続けた柵越え弾は8年後、WBC決勝の本塁打、そしてこの日の開幕アーチにつながった。まだまだ続きがある「村上伝説」の地を形として残したい情熱がある。【三須一紀】