日刊スポーツの名物編集委員、寺尾博和が幅広く語るコラム「寺尾で候」を随時お届けします。
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今年の日本シリーズは阪神とオリックスがぶつかり合う。在阪球団同士の対決は、“御堂筋シリーズ”と称された阪神対南海の1964年(昭39)以来、実に59年ぶり2度目というから奇跡的といえる。
名門南海ホークスは、大阪・難波駅の一等地にあった大阪球場をフランチャイズにした人気球団だった。当時を知る“生き字引”は南海でマネジャー、営業担当、ダイエーホークス取締役編成本部長を務めた梶田睦だ。
「あの年の日本シリーズは初めてのナイター開催になったのですが、ちょうど東京五輪と重なった。うちの大阪球場は満員でしたが、甲子園の観客は1万人台でガラガラに見えたから、みんなで『阪神は切符売っとんのかいな?』と冗談を言い合ってましたね」
南海を率いたのは“親分”の異名で、通算1773勝を挙げたプロ野球史上最多勝監督の鶴岡一人。阪神を4勝3敗で下し、2度目の日本一を達成。梶田が勝因の1つに説いたのが、名監督の「外国人操縦法」だった。
シーズン26勝のジョー・スタンカが4試合に登板し、2完封含む3勝でMVP、左の長距離打者だったケント・ハドリがシリーズ2本塁打で優秀選手賞の活躍ぶりだった。
“ミスターホークス”の杉浦忠、68年に31勝(10敗)をマークする皆川睦雄もいたが、シリーズ男になったのは外国人投手で5年目のスタンカだった。梶田は「攻撃型な投手で、ストライク、ボールの判定が違うと、ホームベースに土をかけて、よぉ球審とケンカしました」と苦笑する。
61年巨人との日本シリーズ第4戦、南海が1点リードの9回裏2死満塁、スタンカが宮本敏雄に投じたボールの判定に猛抗議後、サヨナラ負けを喫した。スタンカは球審の円城寺満に体当たりを食らわし、最終的に巨人が日本一になった。その後で「円城寺事件」と問題になった。
そんな“暴れ馬”のスタンカだが、梶田は「実にうまく手なずけた」と鶴岡の手腕を振り返った。
「遠征では和風旅館に泊まったが、外国人はホテルでした。試合後は一緒にバスに乗って、まず最初にホテルにスタンカを『シーユー、トゥモロー!』と見送って、みんなで窓越しに手を振って別れた。またスタンカは慣れない大浴場に入るのをいやがった。でも親分は旅館の大浴場に引き込んで『どや、気持ちええやろ?』とスキンシップをはかってましたね」
後で鶴岡は「外国人は感情でこじれることが少ないし、グラウンドの雰囲気にのまれることがないから使いやすい」と語っている。親分から期待を寄せられたそしてスタンカは「ボスのためなら」と忠誠を尽くすのだった。それが日本一決戦の連続完封につながって、親分を男にしたのだ。
阪神か、オリックスか--。助っ人のパフォーマンスが勝敗の行方を左右するのは、シリーズの歴史が物語っているようだ。(敬称略)



