新日本プロレスの“野人”こと中西学(53)が今月22日の後楽園ホールで引退を迎える。ともに歩んできた第三世代の永田裕志(51)、天山広吉(48)、小島聡(49)が中西をテーマに語った鼎談(ていだん)を2週にわたってお届けします。【取材・構成=高場泉穂】

中西学の決めポーズをまねる、左から小島、永田、天山(撮影・横山健太)
中西学の決めポーズをまねる、左から小島、永田、天山(撮影・横山健太)

-186センチに100キロ超の巨体。初対面の印象は

永田 初めて会ったのは、僕が大学1年生の時の全日本レスリング夏合宿。中西さんは自主参加で来てたけど、当時から体格が日本人離れしていて、力も強かった。僕は軽い階級でしたし、直接練習で絡むことはなかったですけど、日本協会のコーチ陣からの期待はすごかったですね。

小島 自分は91年2月に新日本に入門して、いつも道場の電話番をしてたんです。当時、和歌山県庁所属だった中西さんからしょっちゅう「馳浩さんいますか」と電話があって。だから、「だれだこの中西さんって人」とずっと思っていました。電話越しで、すごくきちょうめんな話し方をされていました。しばらくして、闘魂クラブの選手として道場に出入りするようになったんですが、最初に見た時のインパクトはすごかった。筋肉ががっちりしていて、これが全日本クラスの人かと。

永田 ウエート必死にやって、という体じゃない。最初からああいう体だった。

引退会見を終えポーズを決める中西
引退会見を終えポーズを決める中西

-性格も天然気質と聞きます

天山 普段から会話してても、かみあわない時がある(笑い)。そういうのがニシオくんらしさ。言いたいことは分かるんだけどね。

小島 試合以外で本気で怒っているのは見たことないです。

永田 本当にこのスポーツにアクシデントはつきもの。でも、自分の技でけがした相手がいると泣いたりするんですよ。

天山 思い出すのは、大阪のタイトルマッチ(02年6月5日、IWGPタッグ選手権王者蝶野、天山組対中西、西村組。60分引き分けで王者組防衛)。なかなか勝負がつかなくて、ニシオくんとお互いへろへろになりながら戦っていたら、いきなりがーんと鼻にジャンピングニーを決められて。骨折して、どろどろどろーって出血しちゃって。「くそー、このやろー」と思いながら、ふっと顔あげたら、ニシオくんは「うわー、しまったー」って顔してるんですよ。試合だからね。でも、ほんと優しい人。

中西との思い出を笑顔で語る、左から小島、永田、天山(撮影・横山健太)
中西との思い出を笑顔で語る、左から小島、永田、天山(撮影・横山健太)

永田 名古屋レインボーホールでの武藤さん対パワー・ウォリアー戦(93年3月21日、武藤勝利も左膝を痛めその後1カ月欠場)。ウォリアーが武藤さんを場外にぶん投げたんです。それがちょうどセコンドしていた中西さんの前に落ちて。本当はキャッチしなきゃいけないんだけど、床に落ちて膝を打っちゃって。その後、武藤さんは2発のムーンサルトをやったんです。1発目やって、浅かったので膝を痛めながらももう1発。試合後に長い通路の向こうから中西さんが大泣きしながら「武藤さんの膝が、俺のせいだー」って歩いてきて

(一同爆笑)。

永田 武藤さんに言わせると、場外に落ちた時は大したけがにならず、1本目のムーンサルトの時に痛めた、と。中西さんの取り越し苦労というか。なんで泣いてるの? って感じでした。

天山 けっこうオーバーよね、若い時から。ちょっとドン引きですよね。必死なんですよ。泣きっ面がまたね、笑っちゃうんですよ。

-特に永田さんは詳細までよく覚えている

永田 中西さんのこんな話は、いっぱいありますよ。語ったら、一晩かかる! ((下)につづく)