巌流島の戦いで有名な元プロレスラーのマサ斎藤さん(享年75)が亡くなった。米国で活躍し、新日本プロレスでは、巌流島でアントニオ猪木と名勝負を演じ、引退後は渉外担当として、ドーム興行などビッグマッチを陰で支えた。東京・青山の梅窓院で営まれた葬儀は、故人の人柄もあり多くの参列者も集まったすばらしい式だった。
ドン荒川さんが昨年亡くなったときに取材した、新日本の元執行役員、上井文彦氏の言葉を思い出した。「プロレスラーは静かに死んじゃいけないんです」。白い花でリングをあしらった祭壇に、倫子夫人が選んだ遺影。それを囲むように、赤い花は、巌流島のかがり火を再現したとか。闘志あふれる遺影に、斎藤さんの代名詞「GO FOR BROKE(当たってくだけろ)」の文字版。その祭壇の中で、斎藤さんが今も戦っているような雰囲気があった。
会場となった梅窓院は、倫子夫人が選んだ。青山通りを1本入ったところにある、静かで品のある寺院。斎藤さんが生前「青山通りは昔、戦車が走ったことがるんだ」と話したことを覚えていた倫子さんが、通りからたまたま見かけた梅窓院を選んだと話してくれた。もともと親族だけでという通夜、告別式だったが、訃報を聞き付け、かつての仲間や世話になった人たちが数多く足を運んだ。
かつてリング上で、長州力の顔面を蹴って、新日本を解雇された前田日明氏と、長州の2人が、そろって出棺の際に棺を抱えていた。前田氏は「試合のあとマサさんにちょっとあやまったら、『あやまることないよ。元気があるのはいいことだよ』と言われた」と思い出を語った。長州は「この年までやってきて、あそこまでにはなれないね」と故人の偉大さをたたえた。
米国時代のマサさんの思い出を弔辞で切々と語ったザ・グレート・カブキの米良さん。マサさんにビジネスのイロハを教わったという蝶野正洋。明大時代にレスリング部と柔道部で切磋琢磨(せっさたくま)したという新日本の坂口征二相談役は「同じ体育会で仲が良くて、おとこ気のあるやつだった。オレが社長で、マサが渉外部長で一緒に頑張ったんだよ」と寂しそうに話していた。
マサさんはみんなに愛されていた。パーキンソン病で早すぎた死であったが、参列した人々の言葉と、倫子夫人の姿を見て、マサ斎藤さんの人生はとてもすばらしいものだったと教えられた。【バトル担当=桝田朗】



