超大物を食う。高い闘争本能を持ち、リトル・ピラニアが愛称だ。31日に東京・両国国技館でシンガポールを拠点とする格闘技興行ONEチャンピオンシップの「ONE:A NEW ERA-新時代」が日本初開催。その大舞台で、総合格闘家の若松佑弥(24)は番狂わせを狙い、己の牙を研いでいる。試合当日、ケージではUFC史上最多の11回防衛を誇る元フライ級王者デメトリアス・ジョンソン(32=米国)と相対する。同階級で史上最強と呼ばれる相手とONEチャンピオンシップのフライ級トーナメント1回戦で拳を交える。

「オレは奇跡を起こします」

明るい未来を想像し、神経を研ぎ澄ませる。

地元の鹿児島・薩摩川内市では、やんちゃな少年時代を過ごした。格闘漫画グラップラー刃牙の世界観にあこがれ、ストリートファイトを通じて常に最強を求めた。典型的な不良。「子供のころは問題をたくさん起こして周囲に迷惑ばかりかけていた」。中学時代にボクシングジム、卒業後の16歳には柔術道場にも通った。それでも抑えきれない闘争本能。わき上がる戦いへの渇望。とび職をしながら自己流で鍛えた。拳を鍛えるために電柱やブロック塀を殴り続けた。

「ワンパンチで倒す強さが欲しかった」

地元になかった総合格闘技ジムに通うため、18歳で仕事を辞め、上京。頭に浮かんだのはPRIDEリングでピラニアと呼ばれたファイター、長南亮(現所属ジム会長)の戦う姿だった。「ボクの格闘技の原点は『ケンカの最強』というイメージ。そのファイトスピリットがあるのは長南さんだと思った」。上京後、1年間は己の肉体の基礎を作り、練馬区にある長南会長のジムの門をたたいた。

ケンカで鍛えた持ち前の闘争本能と総合格闘技テクニックが融合し、若松は急成長を遂げた。プロデビュー戦こそ黒星を喫したが、その後は9連勝(8KO)をマーク。パンクラスのフライ級ネオブラット・トーナメントも制覇した。今や若手成長株の1人として注目されているが、まだ王座獲得歴はない。昨年9月のONEデビュー戦も負けていた。

「次は弱いヤツとやるのかな」。

その不安は杞憂(きゆう)に終わった。フライ級世界最強の相手に指名された。「(オファーは)電車の中で聞いて、最初は頭が真っ白になったけれど、すぐにやりたいと思った。こんなチャンス、人生で1回あるかないか。やるしかないでしょ」。即決だった。過去、若松のような打撃を得意とする選手が、ジョンソンのタックル→テークダウン、グラウンド(寝技)に食われてきた。下馬評は高くない。若松も承知の上だ。

やるか、やられるか-。もちろん、やられるつもりはない。「ジョンソンを『殺すつもり』で。31日はボクの日だと思っています」。最強の男を食い、食い散らかす-。その大物食いを達成した時、若松がリアル・ピラニアになる。【藤中栄二】(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「リングにかける男たち」)

◆若松佑弥(わかまつ・ゆうや)1995年(平7)2月9日、鹿児島・薩摩川内市生まれ。TRIBE TOKYO MMA所属。川内育英小1年から6年間、サッカークラブに在籍。川内北中時代には地元ボクシングジムに通って打撃を鍛える。とび職に就き、地元の柔術道場にも通うが、格闘家になるために18歳で上京。2年後の15年6月にプロデビューし、通算戦績は10勝2敗。趣味は買い物。家族は両親と姉、妹、弟。168センチ、65キロ(通常)。血液型はB。

◆ONEチャンピオンシップ 11年7月、シンガポールで設立された高い競技性を追求するアジアで人気の格闘技団体。ムエタイ、キックボクシング、空手、カンフー、シラット、散打(サンダ)、ラウェイ、総合格闘技(MMA)、テコンドー、グラップリングほか、すべての格闘技スタイルを組み込む大会を運営。11年9月、シンガポール・インドア・スタジアムで第1回大会を開催。同年10月から王座を創設し、16年5月から女子王座も創設。北米流にPRIDE流も融合させた独自ルールを採用。試合は5分3回、王座戦は5分5回。円形のケージを使用。世界138カ国、17億人以上の視聴者に映像を配信。設立者の1人、チャトリ・シットヨートンがCEO(最高経営責任者)を務める。

電柱やブロック塀を殴って鍛えた若松の右拳は大きく盛り上がる(撮影・藤中栄二)
電柱やブロック塀を殴って鍛えた若松の右拳は大きく盛り上がる(撮影・藤中栄二)
3月14日にONEジャパンの秦社長(左端)、パンクラスの酒井代表(右端)とともに会見に臨んだ若松(撮影・藤中栄二)
3月14日にONEジャパンの秦社長(左端)、パンクラスの酒井代表(右端)とともに会見に臨んだ若松(撮影・藤中栄二)