白鵬が九州場所3日目に魁聖を下し、通算1000勝を挙げた。注目の一番は新聞で大きく報じられ、テレビのニュースなどで何度も再生された。勝者が称えられる一方、敗者は引き立て役として悔しさがぶり返される。歴史に名が残るのは、負けた側にとってなかなかつらい。

 1990年春場所7日目。前年に国民栄誉賞を受賞していた千代の富士が1000勝を達成した。この時の相手は、花ノ国だった。当時は史上初となる大記録達成とあり、今よりも注目度は高く、国民的な関心事だった。

 負けた花ノ国は支度部屋で、こうぼやいた。

 「ついてないっすよ。嫌だったですよ。やっぱり。それも地元で…。歴史に残る? それじゃ鈴木康二朗みたいなもんだ」

 「鈴木康二朗」と聞いてピンとくるのは40歳代以上だろうか。77年に王貞治に世界新(当時)となる756号本塁打を打たれたヤクルトの投手。ユーモアあふれる花ノ国の名言となった。

 花ノ国は引退後、若者頭になった。若い衆への指導や土俵の進行係を務める裏方だ。今も、初対面の人に知人から紹介される時は必ず「この人が、千代の富士が1000勝を挙げた時の相手」と言われるという。三役経験こそないが前頭筆頭まで出世し、横綱北勝海(現在の八角理事長)から金星を獲得したこともある実力者。2ちゃんねるには「史上最強の若者頭☆花ノ国☆」というスレッドまである。「千代の富士の1000勝の相手という紹介のされ方では気分が悪くなりませんか?」と聞くと「嫌な気持ちになんかならないよ。気にしてもしゃあない。笑い話だ。俺はそんな人間じゃない。気持ちは大きく!」と豪快に言い放った。

 白鵬の相手は魁聖だった。気持ちは分かるだろうか? 「個人差があるからな…。相手は横綱だから仕方ないよ。自分にとっては過去の話。もう振り向かないよ。前進あるのみ!」。負けてなおたくましく、角界を支えて続けている。

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 この記事が新聞に掲載されたのは、11月17日付のこと。記事が載る前、花ノ国さんは「俺のことなんてもういいよ」と遠慮がちだったが、実際に掲載されると「記事、ちっちゃいな~」と連絡が来た。

 そもそも横綱と対戦するには、平幕上位以上に位置しなければいけない。そう考えると、負けて名を残したとはいえ、不名誉なことばかりではないのだ。【佐々木一郎】