WWE殿堂入りで故ジャイアント馬場氏の最大のライバルだったブルーノ・サンマルチノ氏が18日(日本時間19日)、米ピッツバーグで亡くなった。WWEが公式サイトで発表した。82歳だった。死因は不明。

 イタリア生まれで59年に米国でデビュー。63年5月、米ニューヨークのマディソンスクエアガーデン(MSG)でバディ・ロジャースをわずか48秒で下し、第2代WWWF(現WWE)王座を獲得した。無類の怪力とタフネスを誇り「人間発電所」の異名で快進撃を続け、大人気となった。同会場で防衛戦を重ねたことから「MSGの帝王」とも呼ばれ、在位期間は7年8カ月にも及んだ。

 馬場とは若手時代から交流があり、64年2月、米国で王座挑戦を受けた。67年3月、日本プロレス参戦のために初来日。馬場の保持するインターナショナル・ヘビー級王座に挑戦した。73年からは全日本プロレスにも参戦し、名勝負を繰り広げた。馬場の乗る車が狭いと知ると、愛車キャデラックを船便で贈り、以降は馬場は買い替えでも同色、同車種に乗り続けたことは有名。99年5月には全日本プロレスの東京ドーム大会に来日し、同年1月に死去したジャイアント馬場「引退試合」にも出席した。

 事実上の引退は81年だが、85年からWWF(現WWE)で現役復帰し、86年のレッスルマニア2大会のバトルロイヤルなどにも出場。また13年にはWWE殿堂入りを果たし、MSGで開催された殿堂入り式典に出席していた。(デーブ・レイブル通信員)