元世界3階級王者・八重樫東(37)が引退した。激しく打ち合うスタイルから「激闘王」と呼ばれた名王者を、選手、関係者、歴代担当記者などが語ります。

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WBC世界フライ級王座を獲得し、2階級を制覇した13年8月だった。八重樫が練習後、所属ジムで汗を流しながらじっとスマホを凝視しているシーンで出くわした。画面をのぞかせてもらうとメモに大量の文字が…。翌月に控えているという講演内容を入力していた。「4日間かけてスマホでつくりましたよ…」という力作は、印刷すればA4サイズの用紙8枚分にも及んだ。

世界王者になって以降、何度かボクシングをテーマに講演していたが、この時の依頼は子育て論だった。「ボクシングの話以外でオファーが来るとは思っていなかった」と苦笑しつつも、75分間分をきっちりと構成していた印象が強く残っている。不慣れな内容に緊張はマックスだったそうだが、講演当日の9月7日早朝に次女一永(ひとえ)ちゃんが生まれ、開口一番に愛娘の誕生を報告。「最初のつかみが大事だと聞いていたのですが、一永のおかげで助かりました」。70人以上が集まった講演会で、ボクシング以外の話題に耳を傾けてもらったことが自信になったそうだ。

当時、八重樫は30歳。三十路(みそじ)となり「発言力」に磨きがかかっていた。05年のプロデビュー当時、八重樫の記事には大橋秀行会長の「秘蔵っ子」と書かせてもらったが、スポーツ界でトップクラスと言える師匠の巧みな話術を近くでみながら吸収。ボクシングとともに、発言1つ1つにも力強さが加わっていた。人に自らの考えや思いを伝えることで、頭で思考が整理されると言う。世界王者になったことで生まれたリング外の経験は、八重樫をさらにグレードアップさせていたと感じていた。

ボクシングファンだけでなく、取材に訪れる数多くの報道陣にも好かれていたのは、自らの生きざまを表現できる魅力があったから。あの子育て論の初講演から7年後の9月、ついに引退の時がきた。今度は八重樫の「秘蔵っ子」たちにボクシングテクニックとともに、人間力豊かな話術も継承していってほしいと願っている。【元ボクシング担当=藤中栄二】