IBF世界スーパーフェザー級3位尾川堅一(33=帝拳)が米ニューヨークの大舞台で世界王座を手にした。

同級2位アジンガ・フジレ(25=南アフリカ)とIBF世界同級王座決定戦に臨み、計3度のダウンを奪い、3-0の判定勝利を飾った。「スポーツの殿堂」マディソン・スクエア・ガーデンで日本人世界戦初勝利を挙げた。所属ジムに初めてIBF王座をもたらした。

「プレッシャーをかけて相手を下がらせた。手数が少なかったのは反省でした練習していた右、クラッシュライトが出た」と振り返る尾川の右は切れ味抜群だった。5回に踏み込んでの右フックであごを打ち抜き、ダウンを奪った。6回以降も前に続けて9回には右強打でぐらつかせ、最終12回に右で2度のダウンを追加。試合を決定づけた。

17年12月、米ラスベガスでIBF世界同級王座決定戦に臨み、テビン・ファーマー(米国)に判定勝利してベルト奪取したが、その後の禁止薬物の陽性反応が出て無効試合に。1年間の資格停止処分を受け、19年2月にリング復帰し、再起戦していた。再び手にしたIBFベルトを手にすると「やっぱり4年前、ファーマーとの試合で子供たちにベルトを…。すみません」とリング上で涙を流した。最後には米出発前に激励の手紙を届けてきた息子3人の名前を呼び、ベルト奪取を報告した。

再起後もIBF同級王座挑戦者決定戦がフジレ陣営の都合で消滅し、コロナ禍で21年2月に指令を受けた今回のIBF同級王座決定戦も対戦相手や日程変更に見舞われた。数多くの困難を乗り越えての世界王座到達だった。「言われた試合をこなして、どんどん米国、全世界で試合をして日本人が強いところ、尾川堅一をアピールしたいです」。強くなって世界舞台に戻ってきた。

◆尾川堅一(おがわ・けんいち)1988年(昭63)2月1日、愛知・豊橋市生まれ。父雅一さんの影響で2歳から日本拳法を始め、愛知・桜丘高で高校3冠。明大時代は主将でインカレ団体優勝。10年に帝拳ジムからプロデビュー。11年に全日本新人王を獲得。15年に日本スーパーフェザー級王座を獲得し5度防衛。家族は梓夫人(34)と息子3人。身長173センチの右ボクサーファイター。

▽WBA世界ミドル級スーパー王者村田諒太(帝拳) 4年間腐らず頑張ってきたこと、他人に何て言われようと、納得いかなかろうと、踏ん張ってきた尾川を誇りに思う(村田公式インスタグラムより)