IBF世界ミドル級王者ゲンナジー・ゴロフキン(40=カザフスタン)は、「ミドル級史上最強」と評される。最大の武器は史上最多の17連続KO防衛記録を生みだした強打。世界的なボクシングカメラマンの福田直樹氏(56)はリングサイドで9試合も取材した。元WBA世界スーパーウエルター級暫定王者の石田順裕氏(46、現・石田ジム会長)は13年に対戦した。2人がゴロフキンの強さについて証言した。

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福田氏は全米ボクシング記者協会の最優秀写真賞を4度受賞。決定的瞬間を捉える手腕に定評があり、米国では「パンチを予見する男」と評される。そのプロ中のプロが、ゴロフキンの試合は「撮るのが難しい」という。

福田 アゴや顔面に命中している瞬間を撮りたいのですが、彼はパンチが強すぎて頭をかすったようなパンチでも倒してしまう。だからいい角度からKOパンチを撮影できても、決定的瞬間を捉えた写真には見えないんです。

ゴロフキンの試合は、13年1月に米ニューヨークでガブリエル・ロサド(米国)を7回TKOで下した一戦から9試合、リングサイドで取材。初戦から衝撃を受けたという。

福田 左ジャブが“ゴズンッ”という感じで、リングサイドにも波動が響いてきました。硬くて、強いという感じです。左フックは鉄ついのように強くて、いろんな種類が打てる。ボディーブローも半端ないし、右も強烈でした。

ロサド戦はフックで顔面を切り裂き、相手を血だるまにした。血しぶきを浴びた福田氏の服も真っ赤。「事件を起こした犯人のようになりました」。

史上最多の17連続KO防衛という記録から、強打がクローズアップされるが、タフネスや技術、試合運びも一級品だという。

福田 カウンターパンチを食らいながら、カウンターの右で倒した試合では、彼のタフネスに驚きました。一方で強打者のデイビッド・レミュー(カナダ)との統一戦では、冷静にジャブで弱らせてからKOした。こんな戦い方もできるんだと感心しました。

完全無欠とも思える偉大な王者に、付け入るスキはあるのか。

福田 ゴロフキンはリング中央から扇状にジャブで圧力をかけて、相手の気力と体力を削っていく。下がって受け身に立つことはほとんどなかった。だから村田選手自身も言っているように、最初から前に出て攻めることが大事。村田選手もフィジカルが強く、ガードやショートパンチもうまい。消耗戦に持ち込めば、勝機も見えてくる。そのためにも1、2回が勝負になるのではないかと思います。【首藤正徳】

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高速の“石ジャブ”をしのいだ先に勝機は広がる。歴史的な一戦を前に、石田会長が証言した。

同会長は13年3月30日にWBA世界ミドル級王座をかけて対戦。ゴロフキンに3回TKO負けを食らった。「すべてにおいてレベルが違った。体のパワーも、パンチも」。その中で最も印象的だったのがジャブだった。「硬くてノーモーション。見えにくく、石のように硬かったです」と振り返る。

対戦が決まってから、動画での研究は執拗(しつよう)なほど行ったという。しかし、実際に対峙(たいじ)すると違った。「近づこうにも近づけなかった。作戦としてはクリンチを多用して泥仕合に持ち込もうとしたが、できなかった。岩みたいにまったく動かない。体の芯が強い」。

試合は3回、左アッパーで上体を起こされ、最後は右フックで仕留められた。描いていたイメージが、最初のゴングからすべて吹き飛んだ。「自分の中で相当なショック。全く相手にならなかった」と元世界王者が言うほどだった。

そんな最強の相手に村田は勝てるのか。石田会長は「どちらが主導権をとるかでしょう。下がった方が負けます」と言う。ゴロフキンの硬く、速いジャブをいかに攻略するか。村田の勝機はそこに集約される。石田会長は「自分の場合はレベルの差があったが、村田選手は違う。勝てると信じています」とエールを送った。【実藤健一】

◆福田直樹(ふくだ・なおき)1965年(昭40)7月15日、東京都生まれ。小学生の頃からボクシングに魅了され、大学在学中に専門誌で取材。01年に写真家を志して渡米。ラスベガスを拠点に、年間400試合以上取材。米リング誌の専属カメラマンを8年間務めた。12年にWBCの年間最優秀カメラマンに選出された。16年に帰国。ボクシングマニアとしても知られる俳優の香川照之とは、小中高時代の同級生。

◆石田順裕(いしだ・のぶひろ)1975年(昭50)8月18日、熊本生まれ。6歳から大阪帝拳ジムでボクシングをはじめ、興国高から近大。00年5月にプロデビュー。09年9月、WBA世界スーパーウエルター級暫定王座獲得。1度防衛。その後、ミドル級のタイトルに挑戦も失敗。戦績は27勝(11KO)2分け11敗。現在は大阪府寝屋川市の石田ジム会長。