アントニオ猪木さんの死去により、プロレス界では唯一生存する力道山の弟子となったグレート小鹿(80=大日本)が、22日にリングに上がる。昨年暮れに胃がん、大腸がんと立て続けに手術し現在も抗がん剤治療中だが、猪木さんの死去思いを強くし、22日の新潟プロレス黒埼市民会館大会の6人タッグに出場する。

「猪木さんはずっとプロレスの未来を考えていた。ボクも年を取って、病気も抱えているけど、同じようにプロレス界のためにリングに上がって、後輩の指導というとおこがましいが、力道山のプロレスを示していきたい。猪木さんの死に顔を見て、思いを強くしました」

猪木さんとは同い年ながら入門が遅く後輩となる小鹿は、13日に都内で行われた猪木さんの通夜に参列。棺の中の猪木さんと対面した。「スッキリしたような死に顔だった。『オレもう疲れたぞ。もう寝るぞ』と言っているようでした。ボクもゆっくりおやすみ下さいと声をかけました。そういう場面に会えただけで、行ってよかった」としみじみと話した。

猪木さんの顔を見て、初めて2人きりで話した夜のことを思い出した。1970年の10月だった。当時米国のロサンゼルスでワールドリーグ・トーナメントに参加した猪木さんが小鹿を訪ねてきた。その夜は午後8時から翌日朝5時まで酒を飲み、語り合った。

「猪木さんは日本のプロレス界の将来のために改革が必要だと熱く語っていた。『小鹿、早く帰って来い』と誘われた。『将来、ビルの2つ3つ建てたいなあ、小鹿』と猪木さんは夢を語った。2人で歩けないぐらい飲んで、プロレスの将来を語り合ったよ」

小鹿は猪木さんからプロレスの基礎を教わった。厳しい練習に、涙を流したこともある。「シャワーで涙を流して戻ってくると、猪木さんが『小鹿、もう1回だ。こっちに来い』といってさらに練習をつけてくれた。相撲やプロレスの先輩にはしごきやいじめをやる人がいたけど、猪木さんは本当にプロレスを教えてくれた。あんなに教えてくれる人は、あまりいなかった」と話す。

日本プロレスの分裂、崩壊によって、小鹿はジャイアント馬場の全日本プロレスに加入。その後は、猪木さんとの交流はなくなった。それでも「自分がプロレスを続けること。力道山のプロレスを若い人たちに伝えることが、猪木さんへの恩返しになる」と考えている。

新潟プロレスでは、6人タッグで相手は大日本プロレスの後輩たちだ。「リングに上がって何分戦えるか分からないが、猪木さんが亡くなった後の初めての試合。ボクなりに若い選手たちの動きをみながら、気付いたことを話してやりたい。力道山の教えは、ハデなことをやるんじゃなくて、あくまで基本。ゼロからスタートしろよということ。地味だけど、そこを教えていきたい」と話した。