“プロレスリングマスター”がリングを去る日が近づいてきた。武藤敬司(60=プロレスリング・ノア)が21日に行われる東京ドーム大会で現役を引退する。「闘魂三銃士」の1人として、新日本プロレス同期入門の蝶野正洋、橋本真也さんとともに1990年代のプロレス黄金期を支え、メジャー3団体のシングルとタッグ王座の完全制覇など圧倒的な実績を誇る。武藤の長女でシンガー・ソングライターの霧愛(むぅあ、22=武藤愛莉)が、父の素顔を語った。

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「霧愛」というステージネーム、半顔のマスク姿。ファンが一目見れば、武藤の化身であるグレート・ムタを真っ先に思い浮かべるに違いない。だが霧愛は、自分で付けたその名前について「全く(父を)意識していなかった」と笑う。ムタの代名詞である「毒霧」、そして「むぅあ」と読むその響き。「サインを書く時にかっこいい文字を選んだら、たまたまムタみたいになっちゃった」。父譲りのよく通る朗らかな声で明かした。

霧愛は誰よりも近くで、レジェンドが紡ぐ「プロレスLOVE」を見届けてきた。「プロレスが本当に好きで好きで仕方がないんですよね」。私生活でも、父の頭にあるのは常にプロレスだけだという。

日々の食事は、メニューはもちろん、量も1グラム単位で決まっている。就寝時間やトイレに行く時間さえも、毎日ほぼ同じ。腰や膝、股関節のケガを抱えながらも、ジム通いも欠かさない。還暦を超えても自己管理を徹底する姿に、「あそこまで好きになれることを見つけたい」とリスペクト以外の言葉が見当たらないという。

それでも、昨年6月に引退を聞かされた際には「やっと終わってくれるのか」と、安堵(あんど)の思いが強かった。物心ついたころから見続けてきた“ファン”としては、寂しい思いもある。だが、「お父さんは人を楽しませたいという感情が勝っちゃうから…」。試合では、ドクターストップの「ムーンサルトプレス」を繰り出しそうになることもしばしば。「その時だけは相手に止められるとホッとしていました」。父が年を重ねるにつれ、気が気でない思いが増していった。

思い出を挙げれば切りがない。グアム、ニューヨーク、ラスベガス、サイパン…。海外旅行へもたくさん連れて行ってもらった。「小さい頃は泳いでいるお父さんの背中に乗って遊んでいました」。幼少期から父の背中は誇り。その大きさは、今も少しも変わらない。中学生時代まで、父が胸毛が白くなるのを嫌がれば、1本1本抜いてあげていたのも、いい記憶だ。

プロレスラー武藤も大好きだった。だが、霧愛は挑戦する父の姿が一番のあこがれだ。「お父さんは『老後はゆっくり』って言っているけど、常に何か先にないとダメなタイプ。パラリンピックとか、たとえ体が不自由でもトライできることがある。また新しく挑戦してほしい」。時には、振り回されることもある。それでも、霧愛は、武藤の大きな背中をいつまでも後押しする。【勝部晃多】

◆霧愛(むぅあ)2000年(平12)4月3日、神奈川県川崎市生まれ。本名は武藤愛莉。生後1カ月時にベビーリングのポスターで子役デビュー。6歳時に映画「全然大丈夫」に出演。小2から小4までアイドルグループ「マハリガールズ」のメンバーとして活動。21年1月から音楽活動を開始。音楽学校に通う傍ら、川崎銀座街を中心にライブ活動を行っている。次回のライブは2月23日、3月4日。