20歳を過ぎた稀勢の里はモテモテだった。幕内上位に定着すると安馬(現日馬富士)や琴奨菊がライバル視し、時に白鵬もムキになった。朝青龍は横綱なのにけたぐりを繰り出したり、駄目押しのひざ蹴りなどで熱く愛情表現。格上が力を認め、闘争心を燃え上がらせる「ホープ」だった。

 そんな08年5月、私は初代横綱若乃花の花田勝治さんと散歩した。早朝5時半から2時間以上歩くと、相撲の話が止まらなくなった。「まわしの取り方を覚えたら強くなるぞ。右を取れば強いんだから。自分の型は15日中5日ぐらい。右四つでも左四つでも勝てるようになればいいんだ」。話題は突き、押しに加えて左四つを型にしつつあった稀勢の里だった。「あとは師匠だな」と豪快に笑い、愛弟子だった鳴戸親方(元横綱隆の里)に委ねていた。

 2年後の秋、花田さんは82歳で亡くなった。その1年後には鳴戸親方が急逝し、5年が過ぎた。唯一振り向いてくれなかった相撲の神様もようやくほほ笑み、賜杯と綱とも結ばれた。堂々とした「鬼」の化粧まわし姿に、天にいる師匠とその師匠は何を語り合っているのだろうか。【06~10年大相撲担当・近間康隆】