日本相撲協会は27日、東京・両国国技館で大相撲九州場所(11月12日初日、福岡国際センター)の番付編成会議を開き、十両昇進力士を発表した。その中の1人として日大相撲部出の日翔志(ひとし、26=追手風)が関取の座をつかんだ。埼玉・追手風部屋で師匠の追手風親方(元前頭大翔山)とともに会見に臨み、初土俵から約2年半でたどりついたことに「思った以上に時間がかかったけど、上がれて良かった」と感慨深そうに言った。

西幕下3枚目として臨んだ秋場所は一番相撲で元十両の千代の海を下し「勝ったことで流れがつながった」と6勝1敗とし、7人による優勝決定戦を制して幕下優勝を飾った。決定戦では最初に大野城を押し出すと、北大地も退け、最後は嘉陽を押し出して優勝を決めた。3番の激闘で右まぶたから流血と激しい熱戦を物にし、「全部前に出てたので良かった」と振り返った。

埼玉栄を経て、日大相撲部出身。卒業後は日大のコーチ兼アマチュア選手の道を歩み、当初は大学関連の職員だった。コロナ禍で対外試合のほとんどが中止となり、「相撲がぽっかりなくなって。自分には相撲しかない」「頭良くないし、成り上がるには相撲しかない」と角界入りを決意。21年夏場所で初土俵を踏んだが、同年11月に首を痛め、3場所連続休場とどん底に落ちた。

当時は「四股、すり足、そんきょはできず、歩くこともできなかった」といい、部屋で寝たきり生活も余儀なくされた。このまま引退することすら考えていた中で、師匠からは「お前なら絶対に十両に上がれる」「相撲をやるか、やめるか。やるんだったら覚悟を持ってやらないと」といった言葉をもらって気持ちを奮い立たせた。

昨年3月下旬には父の文男さんが57歳の若さで急死。大学関連の職員という将来安泰の道を捨ててまでプロ入りすることに反対だったというが、最後は自分の選択を尊重してくれた。近く、父の墓参りに訪れ関取に昇進することを伝える。天国で見守る父へ良い報告ができそうだ。【平山連】