突っ張り一本やりの気っぷのいい相撲と、甘いマスクで一世を風靡(ふうび)した元関脇寺尾の錣山親方(本名・福薗好文)が17日、東京都内の病院で死去した。60歳だった。

父が名関脇、3兄弟も関取で逆鉾との兄弟同時関脇も達成。通算出場など、数々の出場回数記録で歴代10傑入りするなど、116キロの細身の体ながら“鉄人”の異名も誇った。以前から不整脈など心臓に持病を抱えていた。先月の九州場所も全休して約2カ月間入院。その後退院し、復帰に向けてリハビリを続けてきたが、体調が急変した。

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入社1年目の87年1月だった。相撲担当になって初めて取材したのが、名前に合わせて「井筒部屋」だった。だが、部屋の入り口が分からない。迷った末に扉を開けたが、目の前に稽古場。「そこは入り口じゃないよ」。怒声を含んだ声の主が寺尾関だった。平謝りして玄関から上がり座敷へ。緊張のまま稽古が終わり、改めて名刺を渡してあいさつした。「日刊スポーツの井筒です」。

「えっ、井筒って本名なの?」。寺尾関の表情が一気に緩んだ。同学年ということもあって、それから仲良くしてもらうようになった。

何度か共にした食事の際に言っていた。「昔は食事も楽しくなかったんだよ」。体重を増やすため、無理やり食べた。「冗談じゃなく、のどまで食べたものがあるぐらい。横になると口から出そうで、座ったまま寝たことも何度もある」。そんな苦労と稽古を重ね、人気力士となった。

知人が務める保健所のイベントに参加してもらったことがあった。当時の寺尾人気はすさまじく、駄目元で頼んでみた。快諾してもらえたが“条件”を提案された。「若い衆を2人連れていきたい。俺はいいから祝儀はその2人に渡してほしい」。稽古場では若い衆に厳しかったが、普段の生活では優しい兄貴分だった。

コロナ禍もあって、19年春場所前に会ったのが最後だった。「これが手放せないんだよ」と、食事の時もニトログリセリンを手にしていた。その年の9月に逆鉾関が亡くなってから、わずか4年で懇意にしてもらった井筒3兄弟とお別れになるとは…。胸が押しつぶされそうだ。【元相撲担当・井筒靖明】