モスクワ五輪ボイコットから40年がたつ。国民もマスコミも選手がかわいそうの大合唱、テレビカメラの前で泣く選手もいた。が、私の心は冷めていた。五輪の目的は「平和」であるからだ。ボイコットの理由は、五輪開催国のソ連(現ロシア)が隣国のアフガニスタンに軍事侵攻したに尽きる。

平和ボケしては困る。日本の北方領土は、いまだロシアの手にあり、日本返還は夢物語。この現実を忘れてはならない。ソ連がアフガンになぜ侵攻したのか。アフガンを支配下に置こうとしたのだ。そんな国が、平和の祭典を開催する資格があるわけがない。なぜ、IOCが主導して中止させなかったのか。

私は78年春までアフガンで3年暮らし、レスリングを教えた。その国民が軍靴で踏みにじられ、多数の犠牲者を出す。許せるわけがなかった。なのに日本の一部の五輪選手たちは、出場を希望し、マスコミも国民も同情したのには閉口した。みごとな平和ボケだった。

ボイコットを発表する柴田勝治JOC委員長は、淡々としていたばかりか、当然という顔をしていた。やはり戦争体験者、平和の意味を理解されていた。柴田委員長のニックネームは「王様」、常に堂々とされていた。

スポーツは、政治と切り離すべきだという声もあった。ならば、スポーツ団体やJOCは、国からの金を拒否するがいい。サッカーくじの収益も拒否すべき。スポーツは政治によって普及し、保護されてきたのは歴史が教えてくれるとおり。スポーツマンは、勝利至上主義や独善主義にこり固まらず、一般教養や常識も身につけてほしい。誰一人、アフガン国民の立場に立って発言したオリンピアンは不在だった。

平成24年から、中学校の体育授業に武道とダンスを文科省は必修にした。武道場を造る予算は大きかった。日本文化を義務教育の中で教えることが重要だと政治が判断したのだ。アスリートは、どんどん政界へ進出して活躍してほしい。国会の中で大局からスポーツを考えるべし。