9月13日、2020パラリンピックの車いすバスケット最年少選手の銀メダリスト赤石竜我(21=日体大3年)が、出身市のさいたま市で凱旋(がいせん)報告会を行った。

赤石は「みなさんの声援が力になった」と感謝を口にした。6日解散式後「お母さんに、一番にメダルを掛けたい」と真っ先に実家に戻った。母の由紀代さんは、5歳の頃に脊髄損傷により車いす生活になった赤石を「好きなことをやらせよう。一番の理解者になる」と心に決めた。観客の1人として常に陰で応援しメールで励まし続けてきた。

19年ワールドチャレンジカップ(東京・武蔵野の森)はオーストラリアに60-77で惜敗した。「相手と対峙(たいじ)するときの強い気持ちをブレずに持ち続けたい。フィジカルがまだ弱い」と悔しさをにじませるわが子に「鍛えればまだまだ上にいける」と激励した。

1年延期になった大会は赤石にプラスとなった。チーム目標の「ディフェンスから勝利につなげる」トレーニングを重視し鍛え続けた。パラリンピックの大一番で逆三角形の上半身は「外国人選手にも当たり負けしない」自信につながった。

積極的な守備に手応えを得た赤石は18日「チームをまとめ、若手選手を引っ張れる選手に」と、新たな目標を胸にアンダー23の合同合宿に参加した。3年後パリで「金を獲(と)る」と始動している。

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