元中日監督の谷繁元信氏(52=本紙評論家)は「世界のプロ野球で捕手として最多出場2963試合」と「プロ野球選手による本塁打最多連続シーズン数27」がギネス世界記録に認定されています。長く、捕手という重労働を世界一続けた証明で、それを支えた出会いがありました。元横浜(現DeNA)監督の大矢明彦氏(75)の教えと、名投手たちに思いを込め「言葉」の代わりに出した「サイン」の秘密を明かしました。

【妥協なし、わざと厳しく】

近藤昭仁監督時代の1993年(平5)に、大矢さんがバッテリーコーチでやってこられた。僕は5年目の23歳になる年で、捕手としての「いろは」をたたきこまれました。ダンディーに見えて、メチャクチャ厳しかった。最近になって、ご本人から聞きましたが、一人前にするために妥協せず、わざと厳しくしたそうです。僕が音を上げてもメニューはこなす。厳しいコーチに徹してくれました。

僕にも耐えられるだけの目標があった。それまで4年間、1軍にはいたけれど、3年目の82試合出場が最高だった。もっと成績を残して、お金を稼ぎたいという気持ちが強くなった時期でした。練習や試合、生活の中でも「大矢さんの教え」に取り組みました。

★「読書をしなさい」 戦国武将の策士ぶりは捕手に必要だろうと、時代物を読むよう勧められました。ものすごく新鮮でした。本を夢中になって読む機会はなかったけど、自分で興味を持った違う分野の本も読むようになりました。心を落ち着かせる時間になったのかもしれません。

★「1試合分の配球を覚えなさい」 捕手は記憶力が必要だと命じられました。最初はできませんでしたが、やり続けるうちにできるようになった。1、2年のうちに完璧に言えるようになった。当時の訓練のおかげか、50歳すぎても自分の興味のあるものに対しての記憶力はいいですね。ゴルフならスタートの第1打からすべて言えます。

★「勘を大事にしなさい」 向こうから歩いてくる人の動きを察知して、自分がよけるのか、どっちによけたら、どう動くのか。動きを見ながら察知するなど、勘を働かせてました。毎日、横浜スタジアムに通うのに、高速道路を使うんですが、当時はETCがなかったから、いちいち料金所で支払う。渋滞中に3カ所ゲートがあれば、どれを通れば、一番早く抜けられるか? 勘を働かせるんです。料金所が2カ所あったのですが、2カ所ともバチ当たりしたら、「今日は勘がさえている」って試合に臨める。逆に勘が外れて、遅く到着したら「今日は慎重にいこう」って、やってましたね(大笑い)。

★「投手陣に見える所で毎日練習しよう」 抑えの佐々木(主浩)さんが出てきたら、僕は交代することが多かった。高1までの内野手のクセで、ワンバウンドを止めるのがうまくなかった。佐々木さんのフォークはワンバウンドすることが多い。96年から監督になった大矢さんが本人に聞くと「谷繁に投げるのは不安なので、秋元(宏作)に代えてくれ」って。それを僕に伝えた大矢さんは「投手が見える所で毎日ワンバウンドを止める練習をしよう」と言うので、練習を繰り返しました。シーズンの半ばか、1年かからなかったと思います。佐々木さんが「シゲで行きましょう」と言ってくれたそうです。見える場所での練習は、投手陣に上達と努力を納得してもらうための、大矢さんの戦略だったんですね。

★「投手を把握しなさい」 直接コミュニケーションをとる以外に、投手がロッカー室で誰かとしゃべっていたら、内容を聞くようにしてました。性格を知るのに参考になりました。どういうボールを投げるかだけでなく、性格や人柄まで。気付いたことはノートに書いていました。そうすれば、変化があった時に確認できる。4年目ぐらいから書いていましたが、大矢さんが来られてから、どういうことを書けばいいか、あらためて教えてもらいました。

【権藤さんは「感性を大事に」】

97年に投手コーチで横浜にやってきた権藤博さんからは「何かを気にして、遠慮している。自分の思うようにやれ。困ったら俺を見ろ。お前の感性を大事にしろ」と言われました。翌年から監督に就任されましたが、その時は「お前にまかせた」って感じでした。

権藤監督の下、毎日のように登板した佐々木さんと日本一になるわけですが、マウンドで交わした言葉はないです。目と目を合わせて「いつも通りですね」って確認すると、試合後も特になかったです。

周りから見ると「大魔神」って言われるほどすごい投手ですし、強気なところもあるんですが、僕が感じる佐々木さんは、ものすごくやさしくて、繊細なところもある。そういうところは、僕がうまくやってあげればいいかなって、思ってました。

中日のエース川上憲伸も、気迫をみなぎらせたけど、どちらかというとその闘争心は、作っているようなタイプでした。一方で、セットアッパーの浅尾拓也は天然で、突拍子もないことをするタイプ。落ち着かせるのは僕の役目なんですが、その方法は言葉ではなく、サインでした。まず「首を振れ」ってサインで首を振らす。次に浅尾がフォークを投げたい場面なのは分かっているけど、わざと直球のサインを出すと、首を振る。次にスライダーを出すと、また首を振る。そうやって間を作って、冷静さを取り戻させてからフォークを要求する。時々、2番目の直球でうなずかれて、慌てましたが(笑い)。

ストッパーの岩瀬仁紀は、弱いです。表情も変えず、ひょうひょうとしていたのは、自分の弱さ、やさしさを隠してたんでしょう。だから、逃がさず、僕が強引に引っ張っていました。本人が考えられないようなボールを、わざと要求したりしてました。冷静さを取り戻さすためのサインもあれば、闘争心を引き出すための、サインや配球がありましたね。

◆谷繁元信(たにしげ・もとのぶ)1970年(昭45)12月21日、広島県生まれ。江の川(現石見智翠館)では、87、88年夏の甲子園に出場。8強入りした88年は、島根大会全5試合で計7本塁打を放った。同年ドラフト1位で大洋(現DeNA)入団。98年の日本一に貢献し、01年オフにFAで中日移籍。中日ではリーグ優勝4度、07年日本一。13年に通算2000安打を達成。14年から選手兼任監督となり、15年に引退するまでNPB記録の3021試合に出場。16年に監督専任となった。通算2108安打、229本塁打、1040打点、打率2割4分。現役時代は176㌢、81㌔。右投げ右打ち。