12月18日、その日のSKE48劇場は、いつにも増して盛り上がっていた。

 その日の「主役」を呼ぶコールには、爆発的なパワーが乗り、彼女のイメージカラーでもあるピンクと黄色のペンライトが、客席をきれいに二分した。劇場前には、部屋の一角をイメージした、ピンクのおしゃれなディスプレーが施された。最後のステージを迎えた彼女を悔いなく送り出そうとする、ファンの思いが感じられた。

 愛情をたっぷり受けて、この日、卒業公演を迎えたのは、後藤理沙子(20)。ライトなファンにはあまりなじみのない名前かもしれない。

 09年にSKE48の3期生として加入した。同期には須田亜香里、松村香織、AKB48に移籍して卒業した木崎ゆりあ、声優として活躍する秦佐和子…。ファンの間では「SKE48の黄金世代」と呼ばれる豊作の世代だ。

 12歳、小学校6年生で入った後藤は、中学、高校、そして大学をまたにかけてアイドルとして活動した。48グループでは史上初めてのことだという。

 出世街道を狙うお姉さんメンバーとは対照的に、最年少だった後藤は物事を俯瞰(ふかん)で見るような女性だった。そのせいか、言葉で表現するセンスは抜群で、かつては自作のことわざのようなものをブログのタイトルにしていた。「毎日が過去からしてみれば未来なんだ」、「挫(くじ)けそうと自分で気付いたら立ち直れる」、「君だって空だって涙を流す」…。当時中学、高校生だったとは思えない、うんちくや詩的な表現で、ファンを感心させた。

 両親ともにモデルという血筋からか、ビジュアルは年齢とともに磨かれていった。いつからか、「3期の秘密兵器」と呼ばれるようになると、「秘密にしておかないで、さっさと発掘してほしいですよ」と笑っていたことを思い出す。そんな話をした数日後、「秘密のまま終わる秘密兵器」と、自虐的なブログタイトルを使ってきた。

 後藤は頑張りむなしく、SKE48の選抜に入ることはできなかった。だが、このグループに何を残してきたのか、卒業公演を見ればひと目で分かった。

 公演が進むと、ほとんどの後輩メンバーが涙をこらえながら歌っていた。後輩には決して怒らず、姉のように優しく接していたという。特に仲良しだった後輩の松本慈子は公演中、「中3のころ、たくさんつばをかけてごめんなさい」と後藤に謝った。驚きの事実だったが、そんなことをされても怒らなかったほどだ。

 中学時代の後藤も、友人関係から不登校になった時期があったという。そんなとき、心のよりどころになったSKE48と、その仲間たちへの恩返しの気持ちだったようだ。

 劇場後方の関係者エリアにはこの日、仲良しだった卒業生、友人たち、そして報道関係者でぎっしり埋まった。選抜常連の人気メンバーでも珍しいことだ。人柄だけなら超選抜クラスだった。

 公演後、後藤は関係者にこうあいさつした。「友達やメンバーは連絡をしたらこれからも会えるけど、一緒にお仕事をしてきた皆さんともうお会いできないのがたまらなく寂しい」。そう話すと、涙をポロリとこぼした。小学生のころから見てきたメンバーが、成長し、立派になって巣立って行く…。そんな姿に、もらい泣きしそうになった。

 来年からは事務所を移籍し、モデルやラジオのパーソナリティーなど幅広い活動を目指す。第2の芸能人生が、バラ色…いや、大好きなピンク色に染まることを願っている。記録より、記憶に残る、こんなメンバーがいたことを、SKE48が誇りに思う日がいつか来るだろう。