年齢的には吉永小百合と大竹しのぶの顔合わせということになるのだろうか。年齢は設定よりやや上になるが、役柄の妖艶さという意味では吉永より岸恵子だろうか。年下の方は耐え忍ぶイメージで大竹より田中裕子の方が適役か。

 日本の映画界を代表する女優さんの「夢の共演」をいろいろ想像してしまう。仏映画「ルージュの手紙」(12月公開)の一番の見どころは、それぞれの世代を代表する名女優の初顔合わせである。

 助産婦として地道に一人息子を育てる女性にカトリーヌ・フロ(61)。父親の後妻で30年前に姿を消した義母役をカトリーヌ・ドヌーブ(74)が演じている。

 突然現れた奔放な義母は、女性の静かな生活をかき回す。だが、正反対の2人はいつの間にか心を開き、他人に尽くす人生を送って来た女性もいつの間にか自身の幸せを考えるようになる。両カトリーヌの初競演は、女性心理のそんな深みを描き出す。

 フロは「大統領の料理人」(12年)「偉大なるマルグリッド」(16年)と近年秀作が続き、後者では7度目のノミネートにしてセザール賞主演女優賞を獲得。国家功労勲章にも輝いた。まさに今の仏映画界を代表する女優だ。

 ドヌーブについては言うまでもないかもしれないが、「シェルブールの雨傘」(63年)「昼顔」(67)…60年代から名作を重ねた伝説の女優である。

 マルタン・プロヴォ監督が、自らの誕生秘話をもとに書き下ろした経緯もあって、今作の主人公である助産婦にはリスペクトの念が込められている。命を預かる仕事への思いをフロは誠実に形にしている。過酷な環境で子を産む母親を包む心、ベテランとしての自信と恐れ…「大統領の料理人」のときもそうだったが、この人は「職人」「プロ」ならではの機微を表現するのが本当にうまい。

 ドヌーブの振り切った奔放さは好対照となる。豊かな表情、74歳にしてこのあでやかさは何なのだろう。

 フロ演じる女性は義母に振り回され、尽くしているうちに、実は救われているのはかたくなだった自分の方だと知る。そんな心の綾が2人のやりとりから浮かび上がる。2人のカトリーヌでなければ、ここまで心のひだは表れなかったろう。微妙な緊張感に2人の間に火花のようなものも感じられ、そこがまたいい。

 プレス資料には2人の作品への思いがインタビュー形式で長文掲載されている。が、肝心のそれぞれへの感想はごくわずかしか語られていない。

 フロのコメントは「何もかもがとても自然だったわ。ベアトリス(ドヌーブの役名)がクレール(フロの役名)にもたらしたのと同じ効果をカトリーヌ・ドヌーブは私にもたらしてくれた。彼女はとても直感的で、エレガントな女優よ。今この瞬間を生きる人」。

 一見、称賛のように読めるが、ドヌーブは直感で演じる人であり、緻密な演技の組み立ては自分の方が上。主演はあくまで私という思いが垣間見える。

 一方のドヌーブは「私たちは映画の中のクレールとベアトリスに少し似ていたわ。カトリーヌ・フロは感受性の豊かな女優よ。自信を持ってダブル主演としての強みを発揮していたと思うわ。それは画面にも反映されているんじゃないかしら。クレールとベアトリスの絆は作品を見ればわかるわよね」と語っている。

 こちらも同様に称えていながら、「私がいてこそのあなた」という思いがにじんでいる。俯瞰(ふかん)で語る視点は自分の優位性を意識しているかのようだ。

 奇跡の競演は、女優という生き物、強い自我も改めて見せつける。【相原斎】