演歌・歌謡曲の世界で「第7世代」と呼ばれる歌手が台頭しています。ニッカンスポーツ・コムでは「われら第7世代!~演歌・歌謡曲のニューパワー~」と題し、ベテラン音楽担当の笹森文彦記者が若手歌手を直撃します。今回から、民謡で鍛えた歌声が魅力の二見颯一(ふたみ・そういち=22)が登場します。

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新曲「修善寺の夜」(作詞たきのえいじ、作曲・水森英夫、編曲・伊戸のりお)で頑張っている。結ばれることなく別れた女性を、1人修善寺で思う男の心情を歌っている。高音と低音を巧みに生かした歌唱で存分に聴かせる。

二見のキャッチフレーズは「やまびこボイス」。「ボイス」が付くキャッチフレーズは、三山ひろしの「ビタミンボイス」を筆頭に、「クリスタルボイス」(松原健之)「昭和なボイス」(一条貫太)「ノックアウトボイス」(真田ナオキ)など数多い。二見の場合は、実生活の中から生まれたキャッチフレーズだ。

宮崎県・国富町で生まれた。宮崎市から車で約40分の自然豊かな町だ。町内に40基以上の古墳群がある古墳の町としても知られる。実家はゴーヤーやニラを栽培する農家。1人っ子で育ち、子供の頃から畑仕事を手伝った。

二見 18年間、育ててくれたすてきな町です。「国富町の二見という男の子は歌がうまいから、何かあれば呼ぼう」と言われ、いろんなお祭りに出させていただきました。恩返しの気持ちとして、僕が(歌手として)大きくなるにつれて国富町の名前も発信していきたいです。

歌手への第1歩は、3歳の時、地元のお祭りで大泉逸郎のヒット曲「孫」を歌ったことだった。近所の人たちは大喜びで、二見の両親に「歌が上手だから何か習わせなさい」と勧めた。

二見 歌ったのは全然覚えていないです(笑い)。うちの家族は音楽を誰もやらないので、周りに背中を押される形で、半ば強引に民謡の先生のところに連れて行かれて。僕はピアノも水泳も習い事は全然続かない子でしたが、初めて民謡教室に行って、宮崎県民謡の「しゃんしゃん馬道中唄」をその日のうちに覚えたらしいんです。それから僕のほうから行きたいって言ったそうです。

5歳から本格的に指導を受けた。民謡の先生が「二見君の家の周りは、山と田んぼだから、近所迷惑にならないし、歌い放題でしょう。やまびこで声が帰って来るような大きな声で、山に向かって歌いなさい」とアドバイスされた。

そのかいあってか、中1で「民謡民舞少年少女全国大会」中学生の部で優勝。高2の時に「正調刈干唄全国大会」男子の部で優勝した。民謡の世界で「国富に二見あり」と言われる存在になった。民謡に加えて、12歳からボーカルスクールにも通った。中学校では仲間とアコースティックグループを結成。ボーカルとして、ゆずやコブクロの曲を歌うなど、年相応の音楽にも接した。

二見 当時は歌手になろうとはまったく思っていませんでした。人前でなくても、ボイストレーニングの教室でも民謡教室でも、とにかく歌を歌える状況があるというのが、うれしかった。声を出したいというのが一番だったんです。

実は高校時代から、堅実な将来設計を描いていた。「大学を出て宮崎県庁に勤め、定年後は民謡・歌謡曲の教室を開く」。

二見 本当にその気でいました。東京ではなく、宮崎を出て1人暮らしをしたいと思っていたんですが、母から「出るんだったら東京に行きなさい。1度東京で過ごしてから宮崎に戻ってきなさい」と言われた。受験は現役で日大法学部に合格。新幹線に初めて乗って上京した。当たり前だが大都会では山に向かって歌うことはできない。歌う機会は、カラオケしかなかった。そんな時、ボーカルスクールの先生が、大手レコード会社、日本クラウンの演歌・歌謡曲新人歌手オーディションの1次審査(録音テープなどの審査)に内緒で応募していた。

二見 先生から電話が掛かって来て「1次に合格したから2次に出てみるか」って言われて。「考えていいですか」と言ったら「今日が締め切りなんだ」って(笑い)。歌える機会があるということだったので「では受けてみます」と答えました。審査会では、民謡の大家で、敬愛する三橋美智也さんの「達者でナ」を披露し、見事グランプリを獲得。人生初の取材を受けた。

二見 今まで民謡の大会で優勝しても「おめでとう」で終わりだった。でも取材を受けて「これからの夢はありますか」と聞かれたんです。「あっ、これから始まるんだ」って、その時思ったんです。僕はこれからがある人間になれるかも知れないと思った。(歌手を)目指そうと本気で決意しました。

デビュー曲「哀愁峠」(作詞たきのえいじ、作曲・水森英夫、編曲・石倉重信)のレコーディングの時だった。ディレクターは、キャッチフレーズは何がいいかを考えていた。

二見 いろんな方と相談されていて「響く感じがいいな。『やまびこボイス』ってどうだろう」と言われました。それで「(子供の頃から)山に向かって歌っていました」って言ったんです。そしたら「では、それがいい」と決まったんです。(つづく)

◆二見颯一(ふたみ・そういち)1998年(平10)10月26日、宮崎県生まれ。氷川きよし、山内恵介を育てた作曲家水森英夫氏に師事。19年3月に望郷演歌の「哀愁峠」でデビュー、日本歌手協会の最優秀新人賞。20年4月に望郷演歌第2弾「刈干恋歌」、同11月に初アルバム「颯~はやて~」を発売。21年2月に第3弾「修善寺の夜」発表。同3月に日本ゴールドディスク大賞の「ベスト・演歌/歌謡曲・ニュー・アーティスト」受賞。今年8月4日に新アルバム「颯~はやて~2」を発売する。趣味は絵を描くこと、書道。好きな食べ物は冷や汁と宮崎地鶏。176センチ、58キロ。血液型B。

◆第7世代 もともと活躍中のお笑い芸人の世代区分で、第1世代のコント55号、ザ・ドリフターズから7世代に分けた。演歌を中心に戦後歌謡界に当てはめたのが演歌・歌謡曲版。第1世代は三橋美智也、春日八郎、三波春夫ら。第2世代は美空ひばり、島倉千代子、江利チエミら。第3世代が北島三郎、五木ひろし、森進一、千昌夫、都はるみ、水前寺清子、大月みやこら。第4世代が八代亜紀、石川さゆり、坂本冬美、藤あや子、細川たかし、吉幾三ら。第5世代が水森かおり、氷川きよしら。第6世代が山内恵介、三山ひろし、竹島宏、純烈、市川由紀乃、丘みどりら。お笑いでは「3・5世代」「4・5世代」など細かく分類している場合もあるが、歌謡界では7世代が一般的。


◆笹森文彦(ささもり・ふみひこ) 北海道・札幌市生まれ。早大第1文学部心理学科卒。1983年(昭58)に入社。文化社会部で主に音楽を担当記者。初代ジャニーズ事務所担当。演歌・歌謡曲やアイドルだけでなく、井上陽水、矢沢永吉、松山千春、長渕剛、アリス、中島みゆきら多くのミュージシャンをインタビュー。93年から日本レコード大賞審査員を務め、16年に審査委員長。テレビ朝日系「ワイド!スクランブル」「スーパーモーニング」、東日本放送などテレビ朝日系東北6県番組「るくなす」、福岡放送「めんたいワイド」などにコメンテーターとして出演。座右の銘は「鶏口牛後」。血液型A。

二見颯一の新曲「修善寺の夜」のジャケット(提供写真)
二見颯一の新曲「修善寺の夜」のジャケット(提供写真)
二見颯一のデビュー曲「哀愁峠」のジャケット(提供写真)
二見颯一のデビュー曲「哀愁峠」のジャケット(提供写真)