とんねるず石橋貴明(58)が、4月から始まったフジテレビ系のトークバラエティー番組「石橋、薪を焚べる」(火曜深夜0時25分)でパーソナリティーを務めている。各界からのゲストと2人きりで、たき火を前にじっくりと語り合う。7日からは2週にわたり、元プロ野球選手の清原和博氏(52)が登場することも話題だ。デビュー40周年を迎え、新たにYouTube「貴ちゃんねるず」も開設した石橋に、同い年の記者がじっくりと聞いてみた。

★引き出すトーク男は火の前で素直に

新型コロナ禍の中で、石橋にとって新たな挑戦となる番組「石橋-」が4月に始まった。ソーシャルディスタンスをとり、薪をくべながらゲストの話をじっくりと聞く。

「自分では、あと、どれだけやれるのか全く分からないんですけれどね。まだ少し、面白いことがやれるのではないのかなと。0%にならないかぎり0・01%でも可能性は、僕はあると思っているんで。命あれば希望あり、という言葉ではないですけれど、全くの深夜で、そういった意味では制作費も少ない中、じゃ、どうしようとずっと考えていた。昔『みなさんのおかげ-』でやったことがあって、キャンプのロケに行って、たき火をしながら話していたら、すごくリラックスできて楽しく話せてた。それが、なんかちょっと頭に少し残っていたんですよ」

ゲストの顔触れは芸人、学者、アスリート、料理人と多彩だ…。

「男は火の前だと全員が素直に話せるというコンセプト。IKKOさんも男という扱いでした。女の人を呼ばないっていうのがある。男の人で一番楽しかったこと、つらかったこと、時間の余裕があればやり残したこと。この3つをテーマに話してもらおうっていうことで始めた。たき火の明かりだけがあって、スーパー(字幕)とか写真も一切入れずにね。新型コロナという状況で、たまたま密にならないから収録ができたんですけど。この状況をふまえて、どういう風にバラエティーで楽しいものを作るのかっていうことを、みんなで考えていかないとだめですよね」

現在、58歳。タレントになる前にホテルに就職した。あのままホテルマンであり続けたら、来年は60歳で定年だ。

「ちょっと長くやりすぎたかな、というのもあるんですけれどね。もう少し前でやめておけばよかったとか。最初に出た時は、学生時代の『ぎんざNOW!』と『TVジョッキー』とかと全く一緒で、素人参加番組的なノリで出てプロになろうなんて気持ちは全くなかった。若さゆえですかね、周りに言われて『じゃあ、挑戦してみようかな』なんて思って」

相方は木梨憲武(58)。帝京高の同級生とコンビを組んで「とんねるず」として時代を駆け抜けた。

「初めて2人で出たのが、高校3年の時の『ドバドバ大爆弾』(テレビ東京系)。学生でテレビに出て、思い出として賞金でももらえればいいかなぁくらい」

82年に日本テレビ系「お笑いスター誕生!!」で10週勝ち抜いてグランプリを獲得した。

「その時は就職していましたから、有休を使ってました。勝ち抜いていってコマーシャルのオファーをいただいて、プロでやっていけるのかなぁなんて甘い考えを持ってしまった。若さゆえ飛び出してはみたんですが、売れるまで3、4年かかりましたよ」

★「貴ちゃんねるず」登録者数50万超え

フジテレビ系で83年「オールナイトフジ」、85年「夕やけニャンニャン」とレギュラーを持ち売れっ子になった。若者の代表=とんねるずが、時代を席巻した。

「85年に『雨の西麻布』とか曲が売れて、TBSの『ザ・ベストテン』とかに出たりして、売れたのかなって。でも、それは歌が売れたわけで、バラエティーで売れたわけではなかったのでなんか変な感じでした。なんでこの歌が売れるんだろうみたいな。87年に『ねるとん紅鯨団』が始まって、88年の『みなさんのおかげです』に続いていく。あの辺ぐらいのところが、本格的に売れたのかなっていう感じでしたけどね」

時代はバブル。「ゲロゲロ」「ツーショット」「ちょっと待った~」「大ど~んで~ん返し~」「仮面ノリダー」と、とんねるずがテレビ界の先頭を疾走した。

「自分たちが面白がるということが一番基本。それは心掛けていた。僕は結構、スタッフ側として作る方をやっていた。企画を出して、こういうのやろうって言ったり、会議とかも出ていました。何でもそうですけれど、作っている過程が面白かったですよね。収録してオンエアされると、CDでも発売されてしまうと自分たちの手にはもう負えなくなってしまう。その前の作っている過程が非常に楽しくて。それは今でも、ちょっとありますよね。作っていく過程が楽しいっていう。60歳が近くなりましたけれど、その、ものを作るっていう制作の過程を自分の中で楽しめている間は、まだやれるかなと。こちら側がやりたいと言っても、皆さんから、いらないと言われたら僕らそこで事実上の引退ですから」

先月19日にYouTube「貴ちゃんねるず」で、ユーチューバーデビュー。登録者は今月1日に50万人を超え、なおも増え続けている。

「テレビは、ずっと自分の遊び場だった。その広場が狭くなっているので、違うスペースで違う遊びを考えるのも、1つの手段かなと。演出家のマッコイ(斎藤)に『貴さん、時間あるでしょ? 貴さんを面白く(演出)するのは俺だと思うので』と言われて、始めてみました。皆さんのコメントを読むのが非常に楽しい。テレビは直接声を聞くことがなかったので、そのリアクションの速さがすごく新鮮。自分の中で忘れていた、原点みたいなものを気付かせていただいています。『みなさんのおかげです』を最初に作ったときの感覚を思い出しています。まだまだふざけていきます! やり続けます、面白いこと!」

YouTubeが注目を集める一方で、テレビのバラエティーはコンプライアンスによって表現が制限されている。

「いろいろな環境が変わるのはしょうがない話で、環境に順応できない生物は滅びてしまうと僕は思う。それは環境の変化にこちら側も順応すればいい話。この環境じゃ、とてもじゃないけれど生きられないなと思ったら、違う環境に行くしかない。多分そうでないと生存できないと思うので。だから僕は、ここで生きられないなと思ったら、違う環境を探すし、明らかに全てにおいて、これはもう無理だと思ったらやめるでしょうし…。そこの部分は自分の中ではっきりしている。逆にいつまでも俺が何かやっているというのも変な話で。もう下の世代がどんどんやらないとだめですよ」

人生100年時代。石橋貴明は、まだ燃え続けている。【小谷野俊哉】

▼「石橋、薪を焚べる」の関卓也プロデューサー

今までは、石橋貴明さんがしゃべるという番組を作ってきました。今回は、トークの司会が本業ではない石橋さんが、ゲストの話を「聞く」ということが新鮮な番組です。視聴者からは、早くも「タカさんは聞き上手」と称賛の声が多く来ています。「話す」プロの石橋さんは、やはり「聞く」のもプロでした!

◆石橋貴明(いしばし・たかあき)

1961年(昭36)10月22日、東京都生まれ。帝京高卒業後、80年に同級生だった木梨憲武と「とんねるず」結成。82年日本テレビ系「お笑いスター誕生」グランプリ。83年「オールナイトフジ」、85年「夕やけニャンニャン」、87年「ねるとん紅鯨団」、88年「みなさんのおかげです」などフジテレビ系バラエティーで活躍。91年日本テレビ系「生でダラダラ生かせて」。85年ニッポン放送「オールナイトニッポン」。85年シングル「雨の西麻布」を発売。91年NHK「紅白歌合戦」に初出演。役者として92年映画「メジャーリーグ2」、98年「メジャーリーグ3」に出演、01年日本テレビ連ドラ「レッツ・ゴー!永田町」主演。夫人は女優鈴木保奈美。

◆フジテレビ系「石橋、薪を焚べる」

石橋貴明が「ちょっと話してみたい」というゲストを迎え、たき火を前に語り合うスロー・トークバラエティー。ゲストは芸人、実業家、学者、料理人、大学陸上監督など多岐にわたる。

(2020年7月5日本紙掲載)