自社の通信販売のテレビCMに登場し、いまや全国区の知名度を誇る。夢グループの石田重廣社長(63)。独特の口調と純朴な人柄で、視聴者を引きつけている。芸能事務所も手掛ける。かつてオーディション番組「スター誕生!」に挑戦し、甲子園常連校に進学した経歴を持つ。波瀾(はらん)万丈の半生で、先月末に初の自伝エッセー「いつでも夢を。」(内外出版社)を発表。7月には歌手デビューも決まった。まだまだ夢の途中である。【笹森文彦】
★一気に「精いっぱいの価格で~す」
誰もが1度は目にしているだろう。石田社長とスナックのママ風の女性が登場する通販のテレビCM。女性が「社長~、もう少し安くしてください~」と甘えるように言うと、独特の口調で「精いっぱいの価格で~す」と一気にプライスダウンしてしまう。ママ風の女性は歌手の保科有里。「社長の愛人?」とささやかれる存在で、保科の知名度も急上昇している。
石田社長 もしも僕だけだったら、どんくさい、なまりのあるオッサンで終わってしまいます。愛人と思われる存在がいるおかげで、あの人はなんだ、変わり者の社長だな、となりますから。自分でも想定外でございましたが、夢グループ=石田になった。町内会の一角で(会社を)やっているのなら別ですが、全国津々浦々、社長名がリンクする会社はそうないです。
通販という仕事を一時期嫌いになったことが、テレビCMに出演するきっかけだったという。
石田社長 サイズが違う、対応が悪いなどクレームばかりで「社長を出せ!」という電話も多いです。ならば自分が顔を出して、僕が社長だと見せて、責任は自分で取ればいいと思いました。声と顔が浸透したのか、(苦情の)電話に出ると、あっ社長だと信じてもらえるようになりました。安かろう悪かろうではなく、満足だよと言ってくれる方が多くいらっしゃることが分かりました。通販が好きになりました。
波瀾万丈の半生はこの紙面では書き切れない。ざっくり言うと、浪人し上京したが、大学受験料を友人に盗まれ進学を断念。19歳から百科事典や地球儀の訪問販売。広告付き地図の制作などを経て、通販の世界に入った。「会議はしない、社長室もいらない」「長期計画は必要なし、半年先でいい」などビジネス論は独特である。そんな半生をつづった初の自伝エッセー「いつでも夢を。」を5月20日に発表した。
石田社長 2年ぐらい前から講演の依頼を受けまして。事前に読んでもらえれば、2時間を15分に短縮できて、いろいろな話ができるなと思ったんです。
夢グループの通販には「スーパージェルクッション」「夢コードレス強力サイクロン(掃除機)」など、10億円以上を売り上げたヒット商品が30以上ある。約5年前から始まった石田社長のテレビCMの効果もあり、20年度の年商は、関連会社を含めると200億円を超える。
昨年から地方の公民館やホールで商品を売る催事を始めた。「石田と保科が来ますよ」と新聞に折り込み広告を入れた。「20~30人来ればいいかな」と思い2人で会場に着くと、約700人が並んでいた。「誰のコンサートですか?」と聞くと「社長が来るからですよ」の答えに驚いた。
石田社長 通販は接客しません。催事では触って、安心して喜んで買ってくれる。あの社長なら間違いないと来てくれる。これが商売だなと思いました。
★「スタ誕」応募 甲子園常連校で鍛錬
夢グループのもう1つの顔が芸能事務所である。橋幸夫、黒沢年男、チェリッシュ、三善英史ら多くの歌手をマネジメントしている。保科もその1人だ。実は石田社長も歌手を夢見た時があった。
野球部だった中学3年の時、中3トリオ(森昌子、桜田淳子、山口百恵)をテレビで見て衝撃を受けた。
石田社長 中3トリオは同じ年ですよ。焦りますよ。中学3年生でプロ野球選手はいませんよね。焦らないですよね。でも歌の世界で同級生がなんでキャーキャー言われるんだ。見てる場合じゃない。自分も歌手になると決めたんです。
そんな時、中3トリオを輩出した日本テレビ系オーディション番組「スター誕生!」の予選が、福島・郡山で開催という募集告知を見た。すぐ応募した。
石田社長 そしたら「合格」って来たんです。やった、と思いました。やっぱり、そうか。僕のおじさんの力があったのか、と勝手に思ったのね。おじさんが市川昭介なんですよ。
市川昭介とは、都はるみの師匠で「アンコ椿は恋の花」「涙の連絡船」「夫婦坂」など一連の大ヒット曲を手掛けた作曲家である。祖母の妹の息子という。
石田社長 野球は高校も社会人もスカウトが全国を回って、有望な選手をチェックしますよね。そうか、僕も(おじさんの親戚として)チェックされていたのか。それで早々に『合格』と来たのか。特待生と同じです。僕もアイドル歌手になれると思いました。
「合格」とは予選会に参加できる意味で、大いなる勘違いだった。本番では沢田研二の「LOVE(抱きしめたい)」を歌った。歌い出しで「抱きしめたい」を4回繰り返す。そこで審査員に「ああ、いいです」と言われた。
石田社長 僕は特待生で「合格」と思い込んでいましたから。それが合格じゃないんですよ! 「抱きしめたい」からグーッといく、大事な歌の部分を聴いて失格ならまだしも、「もういいです」だなんて、歌の世界はひどい、ダメだと思いました。
歌手の道は“放棄”して、もともとの夢だったプロ野球選手になる決意をした。強い中学ではなかったが、すでに180センチあり、投打の中心だった。甲子園常連校の名門・東北高(宮城)に進学した。ところが野球部とは関係のない不祥事で対外試合が禁止された。その処遇に納得できずに中退し、地元の高校に入り直した。今から思えば大きな挫折ではないという。
石田社長 東北高校で競争社会と平等性を学びました。強い学校は往々にして1年生のレギュラーが多いです。来年も再来年も勝つために、同じ実力なら1年生を使う。そしてグラウンドはきれいです。先輩後輩なく全員できれいにします。会社も年功序列でやっていく必要はないのです。東北高に行ってありがたかったなと思います。
★歌手デビュー 夢実現
自分が出演する以前のCMに、にしきのあきらや松方弘樹さんらを起用したことで、芸能界との接点ができた。03年に兄弟デュオ狩人を第1号として芸能事務所を設立した。会社名は狩人のヒット曲から「有限会社あずさ2号」。その後、三善英史が所属したことで、06年に事務所名を「夢グループ」に変更した。
給料制で仕事がなくても支払ったため、所属を希望する歌手が増えていった。往年のスターが出演する主催コンサート「夢スター歌謡祭」は、コロナ禍前の19年度には609会場で829公演も実施した。
石田社長 僕には通販という武器があった。自分たちで広告を作り、新聞に入れることができた。お客さんにカタログを配ることができた。全部自分たちでできたんです。(同業者に)うらやましいと思われるかもしれませんが、当たり前のことを当たり前にやっているに過ぎないので、自慢にもなりません。
橋幸夫が来年5月の80歳の誕生日で、歌手引退を表明した。引退後は大学で学び直す。夢グループが引退ツアーを全面的にバックアップしている。
石田社長 「夢グループは最後の働き場所」と書かれたことがありました。現状ではその通りと思います。それなら引退を引き受ける会社もいいなと。第2の人生を見いだしてあげる、そんな芸能事務所というビジョンも持っています。
好きな言葉は「夢」である。いつでも夢を抱いて、全国にお客様や仕事のグループ(仲間)をたくさん作りたいと願っている。夢グループの由来である。
石田社長 目標を持とうとすると疲れます。夢は柔らかいんです。でもかなわない夢を持っても意味がないです。氷点下を体験するためにヒマラヤに行こうと思っても、難しいですよね。でも北海道なら実現できる。自分ができる範囲の夢から始めれば、また次の夢ができるんです。
長い間、封印していた夢をついに実現する。自ら作詞した保科とのデュエット曲「夢と…未来へ」を7月6日に自社の夢レコードから発売。歌手デビューするのだ。中学3年生の時に中3トリオに触発された歌手の夢である。ぜひ因縁の「抱きしめたい…」の続きを聴きたいものである。
▼テレビCMで共演する保科有里
私って誰の横にいても愛人になっちゃうんです(笑い)。社長には申し訳ないのですが、全然、嫌じゃなさそうなんです(笑い)。運を持っていらっしゃると思います。まだまだ波瀾万丈が続いていく人生でしょうが、多分、安定というものを本人は求めないだろうし、ダメと言われたことをやりたがる。ダメなら俺がやるって。歌も(コロナ禍の)こういう時代の中で、絶対に廃れさせたくないという信念のもとで、本当に踏ん張っている。何かといつも戦っている人なのかなと思います。
◆石田重廣(いしだ・しげひろ)
1958年(昭33)7月1日、福島県福島市生まれ。福島大付属小・中学校卒。89年に商品を輸入し通信販売する「友交流通グループ」(現ユーコー)を設立。テレビCMの台本・構成・演出はすべて自分で行う。2分間のCMは地上波、BSなどで月400本以上流れる。1年のうち約3カ月は海外。CMの独特の口調は福島のなまりではなく、日本語が片言の外国人と話す口調が染み付いたもの。主催コンサート用に「夢スター春・秋」「ごめんなさい、ありがとう」を作詞作曲した。今後の夢は委託販売の全国展開。プロ野球は広島ファン。




