極楽とんぼの山本圭壱(47)の告白の続きです。8年半ぶりのライブの朝、騒動で大きな迷惑をかけた萩本欽一(74)に対面した。とんねるず石橋貴明(53)や明石家さんま(60)の言葉を支えに、復帰までの日々を過ごしたという。

 今年1月19日に東京・下北沢のライブで8年半ぶりに復帰した。その後、広島、宮崎でもライブを行い、現在は宮崎サンシャインFM「極楽とんぼ 山本圭壱のいよいよですよ。」(火曜午後7時)にレギュラー出演する。

 復帰後の反応を「想像していた通りですね。メディア先行でいろいろな復帰の話が出ました。だけど話題になったからと、簡単に出られるわけではないと身に染みていますね」。

 現在は東京と知人のいる宮崎を往復する生活。芸能界の仲間との交流はある。「(ロンドンブーツ1号2号の田村)淳とは、東京にいれば、週に1回ぐらいは飯を食いますよ」と淡々と語る。淳はことあるごとに、メディアの前で復帰を後押しするコメントを残している。「とても感謝しています」。

 単独ライブは、料金を観客が判断して決めた金額をザルに入れる「投げ銭」形式を採用した。下北沢のライブでは、約100席の募集に1万6000を超える申し込みがあった。会場周辺に100人以上の報道陣が集まり、開催を知った人が殺到した。「ビックリしました。多少は記者の方たちが来るのかと思ってましたけど、あんな感じになるとは全く想像していませんでした」。

 9年前の不祥事で、ある意味矢面に立ったのが、所属する社会人野球チーム・茨城ゴールデンゴールズ監督だった萩本だ。ライブ当日の午前8時前、萩本に呼ばれ、事務所を訪ねた。「山本、久しぶりだな。ライブやるんだってな。投げ銭にするなら、俺が1番に入れないといけないだろ。ザルは持ってきたか? これ、投げ銭だ」と祝儀を渡された。復帰した「芸人・山本圭壱」にとって、第1号の祝儀だった。

 一部で、萩本が芸能界復帰に反対しているとの報道もあったが、違った。年始などの節目に、見守り続けてくれる先輩にあいさつの電話をしている。その際、萩本にもライブの日程を伝えた。「以前にも萩本さんから『ライブとかやるとしたら、花とか出さないといけないから言ってくれ』と言われてたんです。僕も『動きがある時は萩本さんにご報告させていただきます』と話していた」。

 騒動後は肉巻きおにぎり店勤務、サーフィンインストラクターなどの仕事で生計を立てた。寺に身を寄せたこともあった。昨年秋、今後を考えた。「やはり自分は芸人としてやっていきたい。簡単に復帰できる話ではないけど、出来ることからやってみよう。ライブをやってみた上で、お客さんや世間の人たちが、自分を少しでも望んでくれるなら、何らかの復帰の道が見えてくるかもしれない」。ちょうどそのころ、都内で仲間たちと食事をしていると、ある先輩芸人から強く言われた。「山本、やったらええやん」の言葉で覚悟が決まった。「ありがとうございます。来年(15年)から動きます」と、復帰ライブの準備を始めた。

 やり切れない思いを抱いていた時に、たくさんの先輩や仲間から直接、間接的に支えられた。その1人が、石橋だ。「山ちゃん、神様は越えられない試練は与えない。流れに逆らうな。流れに身を任せていれば、いつか海に出られるから」という言葉通り流れは、復帰へとたどりついた。

 「(明石家)さんまさんが、いつも気にかけてくださっているという話も聞くので、本当にありがたいです。こういう立場で言うのも、あれですけど、恵まれていますよね」。

 現実は厳しい。テレビ出演の依頼はまだない。「お仕事をいただく側。『こんな話どうですか?』と言われたら、前向きにしか考えない。テレビに出るビジョン? それはテレビ関係の方が決めること。僕は断らないです」。

 いばらの道を歩く覚悟はある。【聞き手・小谷野俊哉、上田悠太】