「ドレミの歌」「学生時代」などのヒット曲で知られる歌手ペギー葉山(ぺぎー・はやま)さん(本名・森シゲ子=もり・しげこ)が12日午前11時55分、肺炎のため、都内の病院で死去した。83歳。東京都出身。葬儀・告別式は近親者で行い、後日、お別れの会を開く。今年がデビュー65周年の節目で、亡くなる直前まで精力的に音楽活動に取り組んでいた。

 歌の持つ力を信じ、83年の生涯を歌にささげたペギーさんが急逝した。

 3月29日には、東京・日生劇場で行われた「越路吹雪 三十七回忌特別追悼公演」に参加。翌日のブログで「こーちゃん(越路さん)の思い出の歌が次から次へとゴージャスに歌われ、ファンの皆さまが2階まで満杯!すばらしいイベントでした」などと報告。今月30日には、都内の「古賀政男音楽博物館」の開館20周年記念コンサートに出演する予定だった。

 体調を崩したのは今月10日。風邪の症状が抜けず、都内の病院で診察を受けたところ、そのまま入院。2日後のこの日、長男や親族、仕事関係者らにみとられながら静かに旅立った。

 音楽好きのクリスチャンの家庭に生まれ育った。青山学院高等部在学中に、「渡辺弘とスターダスターズ」の専属歌手になり、米軍キャンプを回ってジャズを歌唱。卒業後の1952年(昭27)に「ドミノ/火の接吻」でレコードデビューした。58年にNHK高知放送局のテレビ放送開始の記念で歌唱した「南国土佐を後にして」がミリオンヒットを記録した。

 音楽と平和を愛する気持ちは人一倍強かった。60年に訪米した際、ニューヨークで鑑賞した反戦ミュージカル「サウンド・オブ・ミュージック」に感激。劇中で流れていた「ドレミの歌」に日本語の訳詞を付けた。「ド」の「ドーナツ」は戦時中、砂糖のたくさんかかったドーナツを食べたかった思いからしたためた。学童疎開先は福島県いわき市。東日本大震災の後に現地の小学校を訪問し、同曲を児童らと合唱した。今年2月、所属するキングレコード主催の歌唱イベントで「歌は元気と生きる力を与えてくれるもの。今が一番、歌の存在が大切な時代だと思います」と、平和への思いを強く訴えていた。

 65年の芸能活動で、ペギーさん自身がモデルになった「学生時代」など、約2000曲をレコーディング。ほかにもテレビ番組「ウルトラマンタロウ」「ひらけ!ポンキッキ」や多くのミュージカルにも出演し、幅広く活躍した。

 95年に紫綬褒章、04年に旭日小綬章。女性として初めて日本歌手協会会長も務めた。65年に俳優根上淳さん(享年82)と結婚。05年に死別するまで、芸能界きってのおしどり夫婦として知られた。関係者によると、関東近郊にある菩提(ぼだい)寺で、根上さんと同じ墓に眠るという。

 ◆ペギー葉山(はやま)本名・森シゲ子(もり・しげこ)。1933年(昭8)12月9日、東京都生まれ。芸名の「ペギー」は、混線電話がきっかけで知り合った米国人が「君の声はペギーという感じ」と名付けた。ヒット曲に「南国土佐を後にして」「ドレミの歌」「学生時代」など。54年に「月光のチャペル」でNHK紅白歌合戦に初出場し、計14回出場。74年に高知県名誉県民。93年に芸術選奨文部大臣賞。