落語家の林家こん平さん(はやしや・こんぺい、本名笠井光男=かさい・みつお)が17日午後2時2分に誤嚥(ごえん)性肺炎のため亡くなった。77歳だった。初代林家三平一門で弟弟子だった、漫談家林家ぺーが日刊スポーツの取材に応えて、ありし日をしのんだ。

◆  ◆  ◆

びっくりしました。

年は僕の方が上なんだけど、入門はこん平兄さんが6年早い。落語と色物でちょっと違うんだけど、間に弟子がいなかったから一番近かった。こん平兄さんはお酒が好きで、よく誘ってくれて、ごちそうしてくれた。

酒好き、女性にモテて、ばくちも好きで典型的な古き良き時代の芸人さんだった。豪快で型破りな人だったけど、寂しがり屋で、よく人を集めて飲んだ。

72年にパー子と結婚した時は、海老名のおかみさん(初代三平の香葉子夫人)が頼んで司会を快諾してくれた。売れっ子だったのにお金を取らないでやってくれました。いい先輩でね。弟子も(林家)たい平という素晴らしいはなし家をはじめ育てていた。

昨日まで浅草演芸ホールの出番だったんですけど、JR鶯谷で降りて、こん平兄さんの思い出にひたっていたんです。

その昔、スター東京と言うキャバレーがあって、その向かいの駐車場で前座時代のこん平兄さんが寒い夜にバイトをしていた話を師匠の三平から聞かされていたんでね。頑張ってたんですよね。

三平が有楽町にあった日劇にレギュラーで出ていたので、こん平兄さんの1年先輩の林家珍平、同期の林家万平と3人で謎かけをやってていました。『珍・こん・万』セットでね(笑い)。謎かけと言えば、こん平兄さんで師匠の三平も頼りにしていました。

一昨年に都電落語のパーティーで会ったのが最後になったけど、元気そうだった。小遊三師匠たちと卓球をやっていてご機嫌で、僕もうれしかった。卓球のラケットを持ってる姿が、今でも浮かんできます。

先輩たちが亡くなって、林家の一門みんな、師匠と呼ぶようになって、僕だけが兄さんと呼んでいました。

都電落語に出してとお願いしていたんだけど、それもかなわなくなりました。ご冥福をお祈りします。