「愛のきずな」の大ヒットで知られる安倍理津子(72)が50周年記念曲「願い」(作詞・三戸亜耶、作曲・大貫祐一郎)を発表した。

6月5日に都内で新曲発表会を兼ねたディナーショーを開催し、同期の錦野旦(72)がスペシャルゲストとして出演した。新型コロナウイルス感染症対策で人数制限されていたが、熱心なファンが集った。

本来の50周年は昨年8月だった。コロナ禍でまったく活動が出来ず、今年の夏までを50周年イヤーと位置付けた。約4年ぶりとなる新曲「願い」は、コロナ禍でも歯を食いしばって頑張る人々に向けた歌詞を、シティーポップなメロディーに乗せた。「歌はメッセージです。昔のように歌謡曲や演歌が大ヒットする時代ではないけど、少しでも多くの人に聴いていただきたい」と願う。

カップリング曲は「接吻~くちづけ~」と「ヘッドライト・テールライト」。前者は、デビュー曲を作曲してくれた恩師・鈴木淳氏とのデュエット曲で、20周年アルバムの収録曲。鈴木氏への感謝を込めて、カップリングにした。後者は中島みゆきの名曲で、コンサートでよく歌っていることから収録した。歌謡界の荒波の中で半世紀。すごいことである。

1970年(昭45)3月、大阪万博が開幕した。東京五輪(64年)とともに日本の高度成長の象徴と言われた。安倍は「安倍律子」として、8月1日に「恋のきずな」(作詞・加茂亮二、作曲・鈴木淳)でデビューした。

経済と同様に活気づく歌謡界で、100万枚超えの大ヒット。第12回日本レコード大賞で、最優秀のにしきのあきら(当時の芸名)、辺見マリ、野村真樹、ソルティー・シュガーとともに新人賞を獲得した。デビューわずか5カ月の快進撃だった。「年間600人の新人がデビューする時代でした。名前を覚えていただくには、最初のア行がいいと。本名が『熊木律子』で中学時代に『ベア(熊)ちゃん』とも呼ばれていた。芸能界の業界用語は『コーヒー』を『ヒーコー』のようにひっくり返すから、ア行で『アベ』にしようって。本当の話です(笑い)」。

ただ姓名判断を勉強していた母が当初「安倍律子ってすごく難しい名前だよ」と難色を示した。その予感は的中した。ヒットに恵まれなくなった。5年目の75年に「安倍理津子」に改名するが、新曲が8000枚しか売れず「律子」に戻した。それでも低迷が続き、82年に「安倍里葎子」に変えた。転機が訪れた。

大御所・橋幸夫とのデュエット曲「今夜は離さない」(作詞・藤波研介、作曲・幸耕平)が大ヒットしたのである。

以後、桜木健一、林与一、松方弘樹、誠直也、KINYA、平尾昌晃、大沢樹生ら計17人とデュエットし「デュエットの女王」の異名を取っている。「デュエット人数のギネス記録を狙いたいですね」(笑い)。

50周年を機に「里葎子」から「理津子」に戻した。4回目の改名だ。「心機一転です。淡々と、死ぬまで歌い続けたい。生涯、いち歌手です」。改名はしたが、読み方は50年変わっていない。これからも唯一無二の「アベ・リツコ」である。【笹森文彦】