代表曲「遠くへ行きたい」などで知られる歌手で俳優のジェリー藤尾(本名薫紀=しげき)さんが14日午前4時52分、COPD(慢性閉塞(へいそく)性肺疾患)を起因とする急性肺炎のため、横浜市内の次女夫妻の自宅で亡くなった。81歳だった。

所属事務所のミュージックオフィス合田が、一般社団法人日本歌手協会と連名で発表し、報道各社にファクスを送った。通夜及び葬儀は、近親者のみの密葬で執り行う。お別れ会などの実施については、新型コロナウイルスの感染拡大の状況を見極めながら検討し、決まり次第、報告するとした。

藤尾さんは、新宿のジャズ喫茶で飛び入りで歌ったところをスカウトされて、1958年(昭33)に水原弘とブルーソックスのシンガーとして日劇ウエスタンカーニバルに初出演。61年に東芝レコードから「悲しきインディアン」でデビューし、同年のNHK紅白歌合戦に「石松野郎の歌」で初出場した。

62年にはレギュラー出演していたNHKのバラエティー番組「夢であいましょう」の「今月の歌」として発表した、永六輔さん作詞、中村八大さん作曲の「遠くへ行きたい」が大ヒットした。

歌手として活躍する一方、59年の映画「檻の中の野郎たち」(川崎徹広監督)で俳優デビューを果たし、59年の「独立愚連隊」(岡本喜八監督)61年「用心棒」(黒澤明監督)など日本を代表する映画にも出演した。19年にはテレビ朝日系「やすらぎの刻~道」で高級老人ホームに入所する元スター役で出演。石坂浩二、浅丘ルリ子、加賀まりこと共演した。同作が俳優としての最後の作品となった。

今年元日にBSテレ東で放送された「日本歌手協会新春12時間歌謡祭」が、最後のテレビ出演となった。

◆ジェリー藤尾 1940年(昭15)6月26日に中国・上海で日本人の父と英国人の母との間に生まれ、46年に日本に引き上げた。56年に専修大付属京王高に入学。翌57年にバンドボーイとして米軍キャンプを回り始め、芸能界入り。