タレント荒木由美子が、今日25日に62歳の誕生日を迎えた。1976年(昭51)に16歳で故郷・佐賀を離れて、17歳で歌手デビュー。歌手湯原昌幸(74)と23歳で結婚して引退、義母の介護を経て04年に44歳で芸能活動を再開した。今月18日には九州佐賀国際空港で行われた、春秋航空の「佐賀-上海就航線10周年」のイベントに出席した。

   ◇  ◇  ◇

18日のイベントでは79~80年に放送されたテレビ朝日系の主演連続ドラマ「燃えろアタック」の同名主題歌を熱唱した。オンラインでつないだ佐賀、上海の両空港から大きな拍手を浴びて「シェーシェー」と中国語でお礼を述べた。

「佐賀の吉野ケ里の近くにある神埼町(現神埼市)で16歳まで育ちました。小さい頃は、夏になると唐津に海水浴に行って、有田の陶器市に父に連れて行ってもらっていました。76年に第1回のホリプロスカウトキャラバンで審査員特別賞をいただいて、歌手になるために上京しましたが、いつも故郷の佐賀の事が心の中にありました。佐賀の素晴らしさを中国にも伝えるお手伝いができたらいいですね」

77年に「渚でクロス」で歌手デビュー。阿木燿子作詞、宇崎竜童作曲で、事務所の先輩だった山口百恵の“ポスト百恵”としてスカウトした。17歳とは思えない大人っぽい表情で「坊~やみ~たいね~」と熱唱した。79年から80年にかけて、バレーボールを主題にしたテレビ朝日系の連続ドラマ「燃えろアタック」に主演。だが、83年に13歳も年上の湯原昌幸と結婚して23歳で引退。義母の介護などを経て、04年にタレント活動を再開した。

「芸能活動を再開するというより、私の介護の記録を残して、それが役に立てばというのがきっかけでした。そして、それを後押ししてくれたのが中国の方たちでした。『燃えろアタック』は、中国で『排球女将』の題名で放送されて、視聴率85%を記録する超人気番組だったんです。今でも中国の方からは、役名の小鹿純子の中国語読み『ショウルー・ツゥンツ』として応援してもらっています」

春秋航空の佐賀-上海路線は12年の1月18日に就航した。

「40年たった今でも、中国にはファンの方がいてくださいます。芸能界に復帰してからは、毎年のように中国に行ってテレビ番組にも出演させていただいています。今、路線はコロナで運休していますが、第2の故郷の上海のためにもお役に立てれば」

イベントに出席した山口祥義佐賀県知事(56)は「佐賀には新しくて魅力的なものがたくさんあります。そして“小鹿純子”のように長く愛されるものもあります」と話した。

「やる気満々です。それがよか!(笑い)」

人生100年時代。荒木由美子に時間は、たっぷりと残されている。

(続く)

◆荒木由美子(あらき・ゆみこ)1960年(昭35)1月25日、佐賀県神埼町(現神埼市)生まれ。76年「第1回ホリプロタレントスカウトキャラバン」で審査員特別賞。77年6月「渚でクロス」で歌手デビュー。79~80年テレビ朝日系連続ドラマ「燃えろアタック」主演。83年に13歳年上の歌手湯原昌幸と結婚して引退。04年芸能界復帰。15年著書「介護のミ・カ・タ。」。17年CD「私はブランコ」。153センチ。血液型B。