お笑いタレント、なべやかん(51)が、フリーアナウンサー生島ヒロシ(71)が会長を務める芸能プロダクションの生島企画室入りしたことが20日、明らかになった。

1991年(平3)に、明大替え玉受験事件に巻き込まれ、ビートたけし(75)の付き人として芸能界入りしたやかんは、長らくオフィス北野(現TAP)に芸人として所属。パワーリフティング日本王者、お笑いライブ主催、キャラクターグッズコレクター、ラジオパーソナリティーなど“多目的”に活動してきた。18年3月に、たけし自身がオフィス北野を退社したのを機に、やかんも退社。同年12月から芸能事務所ワイエムエヌに所属していたが、昨年いっぱいで退社した。

生島企画室に所属したのは、旧知の放送作家である山田美保子氏の推薦。やかんは「僕も50歳を超えたので、このまま“替え玉のなべやかん”のまま“隠し玉”で終わるわけにいかない。山田さんに相談したら『生島さんのところなら明るくていいんじゃない』と紹介してもらいました」と言う。

現在はベストボディ・ジャパンプロレスのリングでも活躍。94年から月に1回主催するお笑いライブ「嗚呼 お笑い 東洋・太平洋秘宝館タイトルマッチ」は270回を数え、FM世田谷の「なべやかんのブヒブヒスパークタイム」のパーソナリティーを務める。「オフィス北野時代は雪の中に全裸で飛び込んだり、体を張ってつらいこともありましたが、すごく楽しかった」と振り返る。

やかんが付き人を務めていた時代、師匠のたけしはNHKへの出演がなかった。86年(昭61)の「FRIDAY編集部襲撃事件」の影響で超売れっ子にもかかわらず、一般紙で「なぜビートたけしはNHKに出演しないのか」という特集が組まれるほどだった。それが19年の紅白歌合戦では、持ち歌の『浅草キッド』を独唱するほどになった。

やかんは「FRIDAY以前に、とんでもない下ネタをやって出禁になったっていう話もありますけどね(笑い)。僕も雌伏30年、そろそろNHKに出てみたいですね。目標は連続テレビ小説出演。ヒロインの小さくて気のいいおじさん役なんかいかがでしょう」と笑う。20年の紅白歌合戦に出川哲朗、田中裕二、岡村隆史が「スモール3」として出演した時は「いつか『スモール4』にならないかなと思って見ていました」。

受験シーズン、30年以上前を振り返って「周りはいろいろ騒ぐだろうけど、受験生には惑わされることなく集中して欲しい。あんまり参考にならないだろうけど」と苦笑いしながらエールを送る。父親のなべおさみ(82)とは一昨年の舞台共演がコロナ禍で流れたまま。「口出しはしませんが、元気すぎるくらい。ぜひ、共演を実現させたいですね」。

153センチ。体は小さいままだが、30年かけて育ててきた夢はでっかい。

◆なべやかん 1970年(昭45)8月22日、東京生まれ。父はタレントなべおさみ、母は女優の故笹るみ子。小学校から成城学園で1年留年して成城学園高卒業。女優平子理沙は小学校、女優鶴田真由と元TBSアナウンサー雨宮塔子は高校の同級生。91年明大替え玉事件が発覚して、ビートたけしの付き人、弟子として「たけし軍団」の一員になって芸能界入り。全日本パワーリフティング選手権で98~00年準優勝、01、02、04年優勝。14年8歳年下のラジオDJ荻野真理と結婚。15年特撮テレビドラマ「武蔵忍法伝 忍者烈風」に出演、監督。153センチ、血液型A。