映画製作・配給会社アスミック・エースの社長などを務め、21年3月17日に89歳で亡くなった、映画プロデューサーの原正人さん(本名山田良雄=やまだ・よしお)を偲ぶ会が24日、都内で開かれた。
会場には、映画のフィルムがデザインされた祭壇がしつらえられ、原さんが生前、映画を観客に伝えていく思いを込めたキャッチフレーズ“With Loving Care”の文字が記されたボードが飾られた。また、製作に関わり1975年(昭50)に米アカデミー賞外国語映画賞を受賞した、黒沢明監督の映画「デルス・ウザーラ」、同監督の85年「乱」、篠田正浩監督の87年「瀬戸内少年野球団」、黒沢監督の森田芳光監督の97年「失楽園」など、プロデューサーなどを務めた作品のポスターが飾られた。
原さんは、早大理工学部建築学科中退後、独立プロダクションを経て1958年(昭33)に洋画配給会社のヘラルド映画に入社。69年に手塚治虫さんのアニメ映画「千夜一夜物語」の製作に関わると、81年にはヘラルド・エースを設立。大島渚監督の83年「戦場のメリークリスマス」でエグゼクティブ・プロデューサーを務めた。
映画の製作と並行し、洋画の秀作を単館系の映画館に配給し、ミニシアターブームの礎を作った。98年には住友商事の子会社と合併して社名を「アスミック・エース エンタテインメント」に改め、代表取締役社長に就任。その後同社会長、相談役を経て、16年まで特別顧問を務めた。その後は、亡くなるまでHara Office代表を務めた。
原さんが亡くなった8日後の21年3月26日に米ロサンゼルスで開かれた、第93回アカデミー賞授賞式では、例年、当該年度内に亡くなった俳優、製作者ら世界的な映画人を追悼するコーナーが設けられるが、その中で原さんは日本人で、ただ1人紹介された。



