プロテニスプレーヤーの大坂なおみ(24)の母・大坂環(たまき)さんが23日、日本テレビ系「世界一受けたい授業」(土曜午後7時)に出演。長女まりと次女なおみの子育ての苦悩と北海道在住の父・鉄夫さん(77)との関係性について語った。

環さんは娘のなおみのサクセスストーリーに至るまでの波瀾(はらん)万丈の人生を振り返った。なおみが米国で活躍し始める一方で環さんは「アメリカでは年中テニスの大会がありますが、私は一緒には行けません。(なおみの)試合をほとんど見られなかった。フロリダに残って仕事です。家計を支えるためにお金を稼ぐ役割は私が担う」と振り返った。

全米オープンを制覇した2018年(平30)、なおみは大勢のファンの前で「母は多くの犠牲を払ってくれました。母が試合を見てくれてうれしかったです」と成功するまでの過程に母の献身的な支えがあったことを感謝した。

環さんは、なおみの父である夫マックスさんとの駆け落ち結婚、極貧生活、世界一のテニスプレイヤーに成長するまでの娘との固い絆を振り返った。環さんのテレビ出演は異例だ。「娘の名前でテレビにしゃしゃり出ることは嫌だったが、(人生)なんとかなることを伝えたかった」と今回の出演動機を語った。なおみも今回母環さんがテレビ出演することを喜んでいたという。

環さんは「(夫の)マックスとの出会いが私の人生を大きく変えた」と明かし、ハイチ出身の夫とのなれそめを披露した。環さんは北海道根室市生まれ。大坂家の長女として父鉄夫さんから厳しく育てられた。父からが「20歳を超えるまで彼氏は勝手に作ってはならん」と言われながら、23歳の時に当時交際していたマックスさんが暮らす大阪に向かい1995年(平7)に父に許可も取らずに結婚した。

96年に長女まりを出産。97年に次女なおみを出産し4年後の2001年(平13)に渡米。ニューヨーク、フロリダと移住を繰り返して2人の娘をテニスプレーヤーに育てた。テニス経験がない夫のマックスさんが独学でテニスを勉強して指導した経緯も明かした。

環さんは「つらくはなかった。楽しかったですよ。ゲーム感覚でできることを楽しんでやった」と当時を振り返った。なおみの才能が開花する可能性を感じたのは「14~15歳のころ。サーブ、フォアハンドの威力が違う。トップ選手になるなと確信しました」と話した。幼いころは「まりの方が力があり、なおみは全然球も打てなかった。あの子(なおみは)は努力、努力の人」と振り返った。

環さんの父鉄夫さんは厳しかった。渡米後も父は国際電話で孫には優しく話しても環さんには「アメリカでおまえは野垂れ死にすればいい」と厳しかった。環さんは「子どもたちには優しいのに私にはすごいひどいことを言う。でも、そのおかげで絶対負けるものかと思った」と回顧し、父への反骨心をモチベーションに娘2人を全力で支えた過去を振り返った。

番組では鉄夫さんにも取材して、環さんへの厳しい言葉を送った背景を探った。鉄夫さんは「何度も(野垂れ死ねばいいと)言った記憶がある」としながら「(環さんが)離婚して帰って来ることを願っていた。でも帰ってこないんだ、これが。何歳になっても(環は)目に入れても痛くない。だれにも負けない愛情を持っている。それがなぜが素直に言えない。逆になっちゃう」と環さんを思う親心を明かした。環さんが突然大阪に旅立ち毎日泣きながら娘を探したことを語った。鉄夫さんは「このインタビューを受けたのは、正直に娘の環、孫のまり、なおみが、グランパ(おじいちゃん)はこういう風に思ってくれていたんだねと考えてくれたら」と語って涙した。「(自分が)いつまで生きられるかわからないけれど、環も一生懸命生きて行けばいい。ずっと応援している」と話した。

環さんは「今になると父の愛情の裏返しというのはわかります。当時の私は生きるのに精いっぱい。でも父のあの言葉があって私は強くなった」と涙ながらに語った。