歌手成世昌平(72)が、22日に新曲「あんちゃん/銀河への道」(作詞いではく・作曲聖川湧)を発売した。
民謡で鍛えた伸びのある高音で、故郷への思いを歌い上げている。「今年72歳になりましたが、この年齢で1年3カ月ぶりの新曲を発表できるのは幸せですね。今回は、作詞家のもず唱平先生にプロデュースしていただきました」と笑顔を見せている。成世に聞いてみた。【小谷野俊哉】
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1978年(昭53)に営業マンとして勤務していた島津製作所を辞め、27歳でプロの民謡の歌手に。85年、34歳の時にシングル「博多節/福知山音頭」を発売してデビュー。そして99年に発売した「はぐれコキリコ」が02年にブレーク。50万枚超のロングセラーになった
「暮れが近くなって来て、NHKの紅白歌合戦の候補に挙がっていると。そして、初出場歌手の発表の日もだいたい決まって“当確”だから東京に来いとなったんです。それで、新大阪から新幹線に乗って東京に向かいました。ところが、京都に着く直前に電話かかって『ダメでした』と。京都駅で降りて引き返しました」
当時のNHK「紅白歌合戦」は、今とは比べものにならないくらい出場へのハードルが高かった。
「当時は、1年間だけじゃなく、2年間ぐらいの実績がないと出られなかった。あと、NHKの歌番組に出演するとか、貢献がない人は出られない。あの当時の紅白は、すごい価値がありましたから。紅白に1回出ると、ギャラが100万円上がると言われてた時代でした。ちょうど、紅白も変革期を迎えていて、結構、演歌の方が落ちた年でした。紅白に向けて、150万円のスーツもあつらえていて、残念でしたけどしょうがありませんね」
27歳でプロの民謡歌手になって、45年がたった。
「レコードデビューしてからも40年近くたちました。まあ、サラリーマンやっていれば、とっくに定年はすぎている年ですからね。何だったら民謡の弟子も取るのもやめちゃったりしてるかもしれない。転勤で住む家が変わったかもしれない。まあ、民謡演歌が売れたわけですが、基本は民謡のおかげですね。『君の声が財産になる』といわれてプロになったんですが、スポーツだったら、とっくに引退ですよね。節制を続ければ、歌手は80歳くらいまでは大丈夫だと思います」
歌の道を選んだことで、高校時代に3代目桂米朝に入門を断られて断念した落語も高座で演じることが出来た。
「上野鈴本の高座に2回、出させていただきました。落語家になれていたとしても、売れてなかったら出られなかったも知れません。今、72歳ですが、今の声を80歳まで保つというのは厳しいですよね。だから、僕は今のこの声を保ってさえいれれば、それ自体が勝ちだと思ってまして。僕が歌うことで、泣いてくれる人がいるんです。ここ3年くらいは、コロナ禍で、そういうものがなかったんですよ。確かにねきつかったです。生で歌うと、本当に良かったって感動してくれるお客さんの姿を見ることができるんです」
まだまだ、夢がある。史上最高齢での紅白初出場だ。
「もう、出さえすれば史上最高齢初出場かと思っていたら、2012年(平24)に美輪明宏さんが77歳で初出場している(笑い)。まあ、元気で歌っていればね。あとは、この声を保っているかどうかっていうところが、勝負。民謡では、素晴らしい声を持った方が先輩でいらっしゃいますから」
歌うだけではなく、他にも夢がある。それは民謡を次世代に継承することだ。
「僕なんかの子供の頃は、デビューするような人は、子供の時から天才民謡歌手と言われているような人ばっかりだった。僕みたいに23歳になってから民謡を始めてプロになったって特別なことなんです。でも、今は違う。子供たちに民謡になじんでもらうために、いろいろな楽器を車に大量に積んで、いろいろなところに行きます。三味線や太鼓に触れてもらって、遊んでもらうところから。尺八はあのビニールの水道管に穴開けてね。尺八の人が、水道管の尺八を大量に作ってくれたので、いろいろな学校に持って行って、まず吹いてもらう。そういうことをやっていて、1回民謡を歌うと、子供達の方から教えてくれっていってきたりね。すぐに民謡をやろうという形にならなくても、興味を持ってもらえればいいんです。自分が23歳の時に、初めて三味線が弾けたっていう実体験があるからね。それで興味を持ったり、面白くなったらやるかもしれない」
日本国内だけではない。海外へも出かけて民謡を広めている。
「がアメリカへ行って公演をした時に、感動して日本まで習いにやって来たアメリカ人の弟子がいます。三味線と歌を教えています。日本に永住するぐらいのつもりでやっていますね。うまいもんですね。最初は文化ビザみたいな感じで、1年更新で3回ぐらいやったら、もう日本でやっていく気になったみたいです。先月もロスに行って、歌って来ました」
人生100年時代。まだまだ先は長い。(終わり)
◆成世昌平(なるせ・しょうへい)1951年(昭26)6月10日、広島県三次市生まれ。70年に大阪・都島工を卒業して島津製作所入社。74年から独学で民謡を始め、77年、78年に「産経民謡大賞」青年の部で連続優勝。78年の退社してプロの民謡歌手に。85年に「博多節/福知山音頭」でCDデビュー。87年「寿」。99年発売の「はぐれコキリコ」は02年にヒットして通算50万枚。171センチ。血液型O。



