歌手八代亜紀さんが昨年12月30日に急性間質性肺炎のため亡くなった。73歳だった。所属事務所が9日、公表した。

日刊スポーツの担当記者が、取材秘話や交わした手紙とともに故人をしのんだ。関係の深かった著名人もX(旧ツイッター)などで追悼のコメントを発表した。

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何度も取材し、インタビューした。常ににこやかで、身を乗り出すように話してくれた。

かつて「浪曲の切なさにジャズをミックスしたのが八代亜紀の歌」と評された。幼少の時、父敬光さん(91年に63歳で死去)の得意な浪曲が子守唄だった。12歳の時、父が洋楽のLP盤を買って来た。米ジャズ歌手ジュリー・ロンドンのアルバムだった。ライナーノーツには「アメリカのクラブ歌手で、一流のシンガー」と書かれていた。歌声に魅了された。「クラブ歌手イコール一流シンガー。歌手になって、クラブで歌いたい」と思った。

16歳で地元のバスガイドになったが、歌手を夢見た。18歳と偽って、熊本・八代市内のキャバレー「白馬」に応募してステージに立った。子供のころ、自分の声が嫌だったが、フロアに流れる自分の声を「本当はいい声」と喜んだ。歌手八代亜紀の誕生だった。

父は八代さんに画家になってほしかった。父に連れられ、よく球磨川に写生に行った。その願いは後年、実現した。フランスの世界最古の美術展「ル・サロン」の永久会員になった。八代さんは絵画で、純真な子供の夢を伝えたかった。シャボン玉がよく登場する。「絵の中のシャボン玉って、壊れませんから」。自分は歌手になれたように、夢は決して壊れないというメッセージだった。

昭和を38年、平成を30年、令和を5年生きた。目標は80歳まで現役だった。「常に第一線というのが私の信条です。80歳でピアノの前に立ち、老若男女の前で『舟唄』を歌うの」と少女のように瞳を輝かせて話してくれた。その約束を果たしてほしかった。【笹森文彦】