もう15年以上も前のこと。私の事務所に声変わりもしていない中学1年生から講演依頼があった。スタッフが不審に思っていると、あとからフォローしてくれた先生が学園祭の企画から出演交渉まで、まずは生徒にまかせているという。

聞けば愛知で有名な中高一貫の超進学校。学園祭は近隣の人も招いて楽しいものだったが、あとにも先にも“中坊”から講演に呼ばれたのは、この時だけだ。

大学入学共通テストの初日、制服姿の男が地下鉄駅に放火。学校名や偏差値を叫びながら試験会場の東大前で受験生ら3人を刺した事件で、男が名古屋から来たと聞いて私に走った嫌な予感は当たってしまった。

逮捕されたのは「東大医学部を目指していたけど成績が上がらず、人を刺して死のうと思った」というこの学園の高校2年生(17)だった。生徒を信頼し、教師がやさしく見守るあの校風はどこに行ったのか。事件後に出されたコメントには先生方の苦悩とくやしさがにじみ出ているようだった。

<本校は、もとより勉学が高校生活のすべてではないというメッセージを、さまざまな自主活動を通じて発信してきました。ところが昨今のコロナ禍の中、孤立感を深めている生徒が存在していたかもしれません。そのような生徒にどのように手を差し伸べていくかということが根本的な再発防止策と考えます>(要旨)。

事件にふれた記事で読売の「編集手帳」が書いたアメリカ映画のせりふが心に残る。

「人はなぜ落ちるのでしょう? より良い上がり方を学ぶためです」-

そんな家庭教育、社会教育、何より学校教育はできないものかと、つくづく思う。(毎週月曜日掲載)