★1956年(昭31)10月19日、日ソ国交回復共同宣言がモスクワで署名され、12月に発効された。今年で70年となる。戦後処理、国際社会への復帰の作業の1つだったが、日本が国連に加盟する際、常任理事国であるソ連の拒否権行使を恐れ、日ソ関係は急速に接近する。54年12月、吉田茂内閣が退陣し日本民主党の首相・鳩山一郎(自由党)、副総理・外相・重光葵(旧改進党)、農水相・河野一郎(旧日本自由党)、通産相・石橋湛山(自由党)の布陣で新内閣が発足。鳩山は「第3次世界大戦回避のためにも東西陣営は貿易を盛んにすべき」とソ連に秋波を送る。
★55年には保守合同で自由民主党が発足。安定政権の下、交渉は続くが自民党になると対ソ強硬派が横槍を入れ交渉は難航。6月3日から、英国ロンドンのソ連大使館で日本・松本俊一全権大使とソ連・ヤコフ・マリク駐英大使の国交正常化交渉が始まるが焦点は北方領土になり、同年12月の国連加盟はソ連の拒否権で実らなかった。それでも56年からは河野がモスクワに乗り込みニコライ・ブルガーニン首相(閣僚会議議長)と日ソ漁業交渉をまとめあげ、10月には鳩山・河野がモスクワでニキータ・フルシチョフ第1書記らと首脳会談。米国のジョン・F・ダレス国務長官の、ソ連の歯舞群島と色丹島の2島の返還となれば「米国は沖縄を返還しない」とする発言(「ダレスの恫喝」)や自民党から「歯舞、色丹の即時返還」「国後、択捉は日本固有の領土」の要求が出ていたが、まず国交回復を先行させ、平和条約締結後にソ連が歯舞群島と色丹島を日本に譲渡するという前提で改めて平和条約の交渉を実施することでまとまった。
★この歴史を振り返ると日ロ関係の基礎や国連加盟、沖縄返還と大きな外交成果があり、それぞれの立場でまとめあげた政治家の手腕が光る。4日、ロシア・ハバロフスクで対日戦勝と第2次大戦の終戦に関する記念碑が除幕されたが、旧ソ連兵が菊の紋章が刻まれた国境標石をライフル銃で破壊する像で、確かにこの時代に極めて挑発的だ。首相・高市早苗は5日、Xに「日本の国民感情に関わる問題だ」「菊花紋章は日本を象徴する紋章として広く認識されており、その破壊を表現する記念碑を設置することは全く受け入れられない」とした。まともな政治家なら、これを機会に対話のきっかけにするものだが、ネットに怒りの書き込みをするだけで外交だと思っているなら恐れ入る。(K)※敬称略


