平成もまもなく終わりだ。この30年、日本の政界でも自民党の分裂と下野、民主党政権の誕生など、さまざまな動きがあった。もちろん昭和の時代には、自民党の「四十日抗争」とか田中派の分裂とか、熾烈(しれつ)な権力闘争があったと、先輩記者に教わった。今は「安倍1強」が続いて久しい。権力闘争のあり方も、少しずつ変わってきているのかもしれない。

個人的に平成の政治史の1舞台と感じるのが、旧民主党の党本部。今は、国民民主党が入る民間ビルだ。玄関を入ると、党本部のフロアに通じるらせん状の階段がある。エレベーターももちろんあるが、記者たちになじみが深いのは、このらせん階段だ。党の重要な会議が開かれるフロアには、多くの記者たちが待機できる場所がなく、その上、フロアからは退出するよう求められる。でも、ガラスのドア越しにみえる会議室内の動きが気になるし、少しでもウオッチしたい。その様子を確認できるのが、エレベーターフロアに直接つながる階段エリアなのだ。

報道陣は自然とこの階段に立ったり座ったりしながら、人の出入りを確認したり、会議の終了を待つ。ただ、けして広くはない場所だ。その結果、階段に記者が鈴なりになって陣取り、議論の結果を待ち続ける。会議が1時間、2時間で終わればいい方で、数時間に及ぶことも珍しくない。

永田町的には、平成最後の「もめごと」となった、国民民主党と自由党の合併をめぐる議論も、4月25日午後6時半に始まった後、26日へと日をまたぎ、7時間以上続いた。こういう場合、ベストポジションの階段に座れればいいが、多くの記者たちで埋まってしまえば、少し離れたエリアの階段を探し、何が起きているか気配をうかがうしかない。議論が終われば、階段をダッシュして1階に下り、出てくる議員の取材にも当たる。エレベーターを待つより、階段を上り下りする方が早いこともある。取材が終われば、いろんな意味でヘロヘロだ。

国民民主党の前身、民主党による政権は、平成政治史を象徴する出来事だった。一方で「決められない政治」の代名詞ともいわれた。消費税やTPPへの対応をめぐり、党内の意見が激突。党本部ビルのらせん階段だけでなく、国会内の会議室前の廊下にへたり込み、明け方近くまで続く議論が終わるのを待ったこともあった。

民主党政権は、3年3カ月あまりで幕を閉じた。民主党じたいもバラバラになった。ここにきて、国民民主と自由両党が合併することは決まったが、まだ波乱要素は残っている。

「待つ」という行為は、記者の仕事の1つだし、議論を否定するつもりもない。ただ、らせん階段での待ちぼうけは、もしかしたら令和になっても、続くのかもしれない。なかなか終わらない協議の終わりを、らせん階段に座って待ちながら、そんなことを考えた。