自民党離党について報道陣の取材に応じる、当時衆院議員だった渡辺喜美氏(2009年1月12日撮影)
自民党離党について報道陣の取材に応じる、当時衆院議員だった渡辺喜美氏(2009年1月12日撮影)

参院選は、7月10日の投開票まで残り1週間となった。支持のお願いに声をからす候補者がいる一方、今回の選挙には出馬せず、引退、勇退する議員もいる。そんな議員の参院議員会館にある事務所では、片付け作業が始まっているところもある。10日に選挙の結果が出たら、翌11日から議員会館では新旧議員の事務所の入れ替え作業が本格的に始まる。落選した人、今回限りで任期を終える人は、決められた期日までに事務所を開け渡さなければならない。引っ越し業者も入った議員会館のあわただしい雰囲気は、選挙後の「風物詩」でもある。

引退するのはベテラン議員が中心だが、その中に、かつて「改革派」「政界再編のキーマン」と期待された渡辺喜美参院議員(70)がいる。選挙公示日前日の6月21日、今期限りでの参院議員引退を発表した。

渡辺氏は1996年衆院選で、自民党公認で初当選(菅義偉前首相や河野太郎・自民党広報本部長らが同期)。ミッチーと呼ばれ歯に衣(きぬ)着せぬ発言で知られた父渡辺美智雄氏とはまた違った、巧みな発信力で知られ、昨年の衆院選で落選した石原伸晃氏らとともに「政策新人類」ともてはやされたこともある。

第1次安倍内閣で行革担当相なども務めたが、麻生内閣の時に自民党を離党。その後みんなの党を旗揚げして「時の人」となったが、2014年衆院選で落選。16年参院選でおおさか維新の会(現・日本維新の会)から比例代表に出馬し当選したが、この間に選挙応援をめぐって除名処分となり無所属に。所属政党を定めて今回も参院選に出馬することを模索したが、時間切れに。「改革派国会議員の一時代が終わった」と漏らす関係者もいる。

引退を決める際は、無所属という「ひとり」の立場。26年間の国会議員生活に幕を引くことになったが、この十数年、政治の表舞台にいた渡辺氏の政治活動は「ひとり」から始まった。

自民党を離党したのは2009年1月。この7カ月後の衆院選で麻生内閣が民主党に政権を奪われる前、政権の対応を批判して党を離れた。同調者はおらず「新党ひとり」と揶揄(やゆ)されたが、当時は有権者の「自民離れ」が進んでいた時期。地元栃木3区を回る渡辺氏を密着取材すると、「党の中では孤立無援でも、周囲の反応は違う」「間違ったことはしていない」と自信にあふれていた。

この年の衆院選直前に「みんなの党」を結成、5議席を獲得し政党要件を満たした。さらなる勢力拡大を目指した2010年参院選の時にインタビューすると、前田敦子から大島優子へのセンター交代が起きたAKB48総選挙を引き合いに「今の政治にも逆転劇がほしい」と、独特の言い回しで政界再編のキーマンとなる意気込みを語っていた。

渡辺氏が目指した、自民党でも民主党でもない「第3極」というキーワードは2012年新語・流行語大賞トップテンに選ばれ、「政策課題」を意味する「アジェンダ」は、渡辺氏が最初に使った。選挙のたびに所属議員も増えたが、裸一貫、ひとりから立ち上げた創業者の党運営に対するこだわりは、独善的と批判されるようになり、仲間はどんどん離れていった。その後「政治とカネ」の問題が浮上し、党代表を辞任。創業者がいなくなったみんなの党は流動化し、2014年11月に解党に至った。

2014年衆院選に無所属での出馬を表明した際の渡辺喜美氏。地元事務所には父渡辺美智雄氏の写真が飾られていた。この選挙で落選(14年11月26日撮影)
2014年衆院選に無所属での出馬を表明した際の渡辺喜美氏。地元事務所には父渡辺美智雄氏の写真が飾られていた。この選挙で落選(14年11月26日撮影)

渡辺氏の強みの1つは、父から継いだ地盤(栃木3区)での選挙の強さだったが、無所属での孤独な戦いとなった2014年衆院選は落選した。参院議員として国会議員に復帰し、再び第3極づくりを目指したが、もう仲間は集まらなかった。2019年7月には、活動の足場づくりを目指し、NHKから国民を守る党(当時)の立花孝志代表と、院内新会派「みんなの党」結成を発表。かつて率いた党名を冠した名前だった。「やり残したことがまだある。(みんなの党を)もう1度復活させたい」と息巻いたが、存在感を示す機会は訪れなかった。

「ひとり」で自民党を離れて「みんなの党」を結成して仲間は一時的に増えたものの、「個人商店」などと批判されて人は去り、また「ひとり」に。今回の参院選不出馬も、結局は「ひとり」から脱却できなかったため。公の場に現れることなく、自身のフェイスブックで「私の第3極をつくるもくろみは終了しました」などと表明したが、一時代を築いた人物としてはあまりに寂しい幕引き、なれの果てのように感じた。

渡辺氏は参院選が公示された後、お世話になった関係者へのあいさつ回りなどを続けているという。任期満了後は、ひとりの民間人に戻る。今後について渡辺氏の関係者は、「未定」とだけ、話した。【中山知子】