衆院議長就任が決まった細田博之氏(左)から清和会を受け継ぐことになり、派閥の会合で細田氏とグータッチする安倍晋三元首相(21年11月11日)
衆院議長就任が決まった細田博之氏(左)から清和会を受け継ぐことになり、派閥の会合で細田氏とグータッチする安倍晋三元首相(21年11月11日)

安倍晋三元首相が参院選の遊説中に凶弾に倒れたことをめぐり、自民党内の動揺は今も続いている。7月15日まで受付が行われた自民党本部敷地内での一般の人からの献花は、時に2時間待ちという日もあったという。葬儀後、党本部を訪れてみると、献花に来ている年齢層は幅広く、若い世代の参列者も多かった。20代の女性は「ああいう形で亡くなられ、自分が知っている政治家といえば安倍さんだったので、お別れを言いたかった」と話していた。

7月12日に東京・増上寺で営まれた葬儀では、出棺の際に路上で群衆が別れを告げた。カリスマ的な人気があった芸能人などの葬儀の際をのぞき、政治家の葬儀であそこまでの人が見送ったのは、記憶にない。政治家の葬儀は何度か取材したが、葬儀場の敷地内で関係者に見送られるケースが多い。「亡くなり方があまりに衝撃的で、国民の気持ちをより、かき立てたのではないか」と話す永田町関係者もいた。

そんな安倍氏が昨年12月、会長に就任し、父の安倍晋太郎氏が率いて以来約30年ぶりに「安倍派」の名称になった自民党の老舗派閥、清和政策研究会は、発足半年あまりで会長を失う事態になった、他派閥からは「へたをすると、糸の切れたたこになりかねない」とみられている。かといって他派閥の「草刈り場」になるような状況では、さすがにない。ドラスチックな体制の変化は混乱しか招かないということで、当面は現在の体制が続く見通しだが、将来いつかは代替わりが必要になる。ただ、次に誰が派閥を率いるかということになると、候補者は多いものの安倍氏に比べれば、実績を含めて「小粒」なのは否めない。

安倍氏のように、首相退任後も表裏それぞれの舞台で言動に影響力を持ち続けた総理経験者は、近年ではまれだ。これは安倍派以外にもいえることかもしれないが、会長に万が一のことがあった際に継承する「ナンバー2」「右腕」的人材の育成が順調に進んでいるとはいえないケースが多い気がする。派閥の会長にとって、後継者を育てることは、いつか自分を脅かす存在になる可能性もあるが、かといっていつまでも自分が仕切るわけにもいかない。リーダーに「なってほしい人」と「なりたい人」は別、ということもよくいわれる。権力の維持と後進育成がなかなか両立しないジレンマも、今回の安倍派混乱の背景にあるような気がする。

昨年12月に行われた安倍派のお披露目パーティー。多くの出席者の前で安倍晋三元首相があいさつした(22年12月6日撮影)
昨年12月に行われた安倍派のお披露目パーティー。多くの出席者の前で安倍晋三元首相があいさつした(22年12月6日撮影)

自民党の派閥の歴史には、派閥対派閥の激しい権力闘争があったと同時に、派閥内でも同様の抗争があった。1990年以降をみてみても、鉄の結束といわれ、竹下派、小渕派と長く権力の座にあった経世会(現・茂木派、平成研)は、後継争いをめぐる対立から92年に小沢一郎氏や羽田孜氏らが党内グループをつくったことで分裂。93年に小沢氏らが離党し、自民党そのものも分裂した。

清和会でも安倍氏の父、晋太郎元外相が1991年に病気で亡くなった後、有力者同士の後継争いが起きたことがある。有名なのが当時、実力者だった三塚博氏、加藤六月氏による「三六戦争」だ。さまざまな人間関係が交錯した結果、三塚氏が勝ち、加藤氏は派閥を追われる結果となり、「三塚派」に代替わりした。清和会はその後、2000年代に入って森、小泉、安倍、福田、第2次安倍と首相輩出が相次ぎ、最大派閥として「清和会支配」が続いてきた。それでも過程では実力者の離反が起きたこともあり、けして一枚岩でここまできたわけではない。

今岸田文雄首相が率いる岸田派の源流「宏池会」も、分裂の歴史がある。吉田茂元首相が結成した吉田派の流れをくむ名門派閥だが、90年代に入ったころ、派内の実力者で総裁を務めた河野洋平氏と実力者の加藤紘一氏による後継争いが発生。勝利した加藤氏が加藤派をつくったものの、2000年の「加藤の乱」で事実上失脚。宏池会は分裂した。かつての宏池会系派閥による「大宏池会構想」も出るが、実現されないままだ。

安倍派の今後について、永田町で長く仕事をするベテランを取材すると「30年前に安倍晋太郎先生が亡くなり、安倍派がもめた時を思い出した人も多いはず。『二の舞』を避けたい人は多いのではないか」。関係者によると、安倍氏との関係の近さや年齢的な側面から、「ポスト安倍」には萩生田光一経産相への期待もあるというが「今、党内をまとめられる人を見つけるのは、無理だろう。しばらくは安倍元首相の名前を残して、最大派閥を維持するしかない。まずは『数』が重要。割れたら終わりだ」。20年あまり、総裁輩出の派閥として自民党に君臨してきた清和会は、大きな分岐点にきている。【中山知子】