「岸田ノート」に記された国民の声はどう生かされているのだろうか(2021年10月撮影)
「岸田ノート」に記された国民の声はどう生かされているのだろうか(2021年10月撮影)

岸田文雄首相が、一気呵成(かせい)にまとめようとした防衛費増額をめぐる増税方針が、自民党内の3日間の議論でもまとまらず、結論を先送りした生煮え&玉虫色の決着で、年内の党内バトルの幕を閉じた。岸田首相側と、自民党の「今の増税は反対」議員側の双方の顔が立つ形を取ることで、形の上ではまとまったように見えるだけで、議論の方向性はまとまっていない。「15日の決着ありき」という、増税方針とまったく同じ、中身ではなく表面的な見え方を優先した岸田首相と、首相方針への反対、疑問が渦巻く党内。増税の時期は来年決めることになり、来年も議論を続けるという落としどころに落ち着いただけだった。

自民党で行われた所属議員が意見を言える計3日間の会合では、怒号が飛び交う日もあった。「やるべきではない」「無理がある」「あり得ない」。反対派の議員が開いた会合では「不信任に値する」と、野党のような発言もあった。

政権と自民党の力関係を、気象予報に例える形で第2次安倍政権時に定着したワード「政(政権)高党低」とは対照的に、「党高政低」といわれる力関係の変化がにじんだ機会でもあった。

賛否さまざまな意見があっても、最後はまとまるというのが、自民党で長く続いてきた「伝統のお家芸」だが、今の状態では、来年、またもめることは避けられない。もめごとが先送りされただけだ。そもそもこの3日間の議論も、反対派の議員に持論を言わせる「ガス抜き」の場。過去にも党内対立があった議題でも同様の対応はあったが、2日目の議論の際には「官邸は、我々(反対派)の体力が消耗するのを待っているのだろう」という声も聞いた。日に日に賛成派の議員の出席が増えるなど、表面的な決着ありきの舞台は、しつらえられていた。

自民党のように所属議員の多い政党の人は、数の力の大切さを知っている。前述した、まとまっていなくても表向きはまとまったように見せる「伝統芸」は、酸いも甘いも知り尽くした自民党ならではだと思っている。逆に、政権時代に消費税増税をめぐって党内議論がまとまらず、結果的に分裂した旧民主党を取材していた頃は、日付が変わってもまとまらない党内議論を、会議室前の廊下に座って待ち続けたものだった。

岸田首相の防衛増税方針を受けて開かれた自民党政調全体会議では、異論が噴出(2022年12月9日撮影)
岸田首相の防衛増税方針を受けて開かれた自民党政調全体会議では、異論が噴出(2022年12月9日撮影)

政治には「落としどころ」が大切といわれる。それでも、今回ばかりは「いい落としどころではない」と話す自民党議員もいた。

今回の党内バトルを生んだのは、ひとえに岸田首相の説明が足りず、根回し不足が一因だった。水面下での党幹部へのさまざまな働きかけはあったようだが、それが自民党内、ひいては国民に伝わる時間はほとんどなかった。「防衛」も「増税」も、日本人にとってはともに、敏感になってしまうキラーワード。これがダブルで重なった「防衛増税」だけに、突然首相の指示、方針表明があればびっくりするのも無理はない。

耳に痛い話でも、昨今の国際情勢を考えれば、防衛力を進化させることに、耳を傾ける向きもあるはずだ。方針表明から決定まで1週間ではなく、増税の話であっても正面から正々堂々と説明を続けていたら、もう少し風向きも違ったのではないかと感じる。

岸田首相は「聞く力」を重視し、12月8日に、サッカー日本代表の森保一監督の「森保ノート」と交換した「岸田ノート」に、国民の声を書き留めているのが売りだった。書き留めるのは、聞いた内容を実現に向けて参考にするためだろうが、もしかしたら今は聞きっぱなしの状態ではないだろうか。聞きっぱなしでは、自身の血肉になって、それを自身の言葉とする機会も限られてしまう。

岸田首相の「話す=説明する力」の不足は、今回に限ったことではない。安倍晋三元首相の国葬になぜ踏み切ったのか問題の際にも批判が出たし、臨時国会で続いた大臣3人の更迭の際にも、更迭という重い判断をした割には、納得のいく説明を口にしなかったように感じる。日々の国会答弁も同様だった。

支持率下落からV字回復の見通しがたたないまま、2022年末を迎えている岸田首相。身内をきちんと説得した上で、それを正々堂々と国民に説明することができなかった今回の「自民党防衛増税劇場」は、岸田首相の説明力のなさをまた露呈した機会になってしまったように感じる。【中山知子】